No.553-2, Oct.29, 2021, 時間と場所をこえて記録をつなぐプロジェクト第1話 with D. Plath & 柳沢健

今日のHarukana Showの後半のトークです(前半は、No.553-1 へ)。番組構成表No.553には、「話せば長い話を、短く話す」(15分)と記していますが、Podcastでは、もう少し詳しく説明します。また、今回のトーク、「時間と場所をこえて記録をつなぐプロジェクト」第1話は、次週、第2話(No.554-2)に続きます。Mugi

Part3, 柳沢健作「白馬三山」と60年前の調査記録を寄贈したい-Plath

90歳のPlathさんからの依頼

2021年1月23日、Savoy在住のDavid W. Plathさん(イリノイ大学名誉教授、東アジア研究、映像人類学)から、長いメールを受け取りました。要約すると、「松本市の画家、柳沢健さんの油絵『白馬三山』と関連する資料を寄贈したい。地元の美術館に日本語で連絡をとってもらえないか」という内容でした。

Plathさんには、10年前、第20回のHarukana Showに出演していただいたことがあります(No.20-2, August12, 2011,A Year in Japan(YIJ)の始まり、with Prof. David Plath)。この時は、1976年にイリノイ大学と甲南大学のあいだの交換留学プログラム開始した経緯などを伺いました。

Plathさんは1930年生まれ、1959年から60年にかけて長野県松本市でフィールドワークを実施し、’The after hours: modern Japan and the search for enjoyment‘ (Berkeley and Los Angeles: University of California Press, 1964)にまとめました。戦後の経済発展において、余暇の過ごし方が伝統から近代へとどのように変化したのかを、人々の暮らしを観察しながら、記述、分析しています。この本で挿絵を担当したのが、柳沢健さんでした。以下では、Plathさんからの説明(英語のメールを抄訳)を青色で記します。

The After Hoursと柳沢健さんの挿絵

The After Hours は、学術書というよりは、一般の読者を対象とした読み物です。写真よりも、日本のアーティストにイラストを描いてもらった方が、この本の趣向に合うのではないかと考え、私から出版社に提案しました。そして、友人である人類学者の香原志勢さん(当時信州大学)に相談し、松本市在住の画家柳沢健さんにお願いすることになりました。この本の各章に1枚ずつ挿絵を描いてもらいました。表紙と計8枚のイラストの原画が私の手元にあります。-Plath, 2021年1月23日受信メール

柳沢健さんからのプレゼント「白馬三山」

1965年に再び日本へゆき、松本市を訪問したときに、香原さんに連れられて柳沢さんのアトリエを訪ねました。アルバムの写真は、その時に撮影しました。柳沢さんは、「油絵をプレゼントするから1枚選んでください、『藤娘』はどうか」とすすめられましたが、私はすぐに、「白馬三山」の絵を指さしました。安曇野平や白馬の麓の生活に思い起こさせるような絵が欲しかったのです。私は家族と共にかつての有明村に住んでいました。(有明村は、現在の安曇野市穂高有明、1954年には合併され穂高町が発足、有明村は廃止)。医師の自宅の2階の2部屋を借りていましたが、そこから白馬山や有明山、アルプスの山々が一望できたのです。

私の手元にも、2009年に出版された『心の風景画 柳沢健画集』審美社があります。そこには信州の風景画がたくさん載っていて、60年前に自転車で各地を回った思い出が蘇ります。しかし、柳沢さんがその後どうされているのか、インターネットで検索しても何の情報もえられませんでした。-Plath, 2021年1月24日受信メール

柳沢健さんについての手がかりを探す

Mugikoは、まずは甲南大学図書館からThe After Hoursを借り、古書店に柳沢さんの画集を注文しました。Harukana Showではちょうど、Noma-chan(野間大介)がゲスト出演、長野県白馬村でのMTB(マウンテンバイク)トレイルの作りや、森林保全、MTBライダーのグローカルなネットワーク作りについて話題にしていました(HS No.513, No.515)。Podcastに白馬岩岳の写真を掲載しています。長野県の山のイメージが少しつながりました。

Mugikoは、Plathさんが希望する美術館に油絵や資料を寄贈する前に、この絵を描かれた柳沢健さんご本人に連絡をとるべきか考えていました。とはいっても、柳沢さんについての手がかりはありません。

春陽会と健さんと友哉さん

2月のHarukana Showのゲストは画家の植村友哉さんでした。Wataruさんの紹介で、2月10日にTomoyaさん(Osaka)、Wataruさん(U-C)、Ryutaさん(Shizuoka)、Mugiko(Kyoto)の4人をGooge Meatsでつなぎトークを収録をしました。Tomoyaさんは、大学を卒業して一度は会社に勤務したけれど絵を描き続けたく退職し、画家の道を歩き始めます。知人の紹介でTomoyaさんは、関西春陽会に入会し、パラオでの体験を描いた絵で、新人賞を受賞し、プロの画家となる一歩となりました。(HS No.516, No. 517, No.518)

実は、信州の古本屋さんから届いた柳沢健さんの画集にも、健さんが、「春陽会」に所属されていると記されていたのです。

健さんにとっての終戦と春陽会と油絵

柳沢健さんの画集、『心の風景画』の柳沢健年譜には、1926年(大正15年)長野県東筑摩郡里山辺村(現在松本市)に生まれると記され、また「後書きにかえて」には、春陽会について次のようにふれられていました。

「…昭和20年には、米軍機B29が、松本の上空から我が家の家のすぐ近くに爆弾を落とした年であり、戦況は益々厳しくなった。1年繰り下げの徴兵検査を受けて、この年の5月に召集され、3ヶ月の軍隊生活で終戦となった。家へ帰った時には心身共に疲れていた。

 敗戦の衝撃は大きかったが、戦時の抑圧からは開放されて、これからは好きな絵でも描いて過ごそうと思った。そして奉公袋に入れて持って行った中川一政著『美術の眺め』や『みずゑ』を買って見ながら、水彩画を描き始める。

 その頃、小学校の恩師、高津亀次先生が私の絵を見ていて、浅間温泉にアトリエのある、春陽会の関四郎五郎先生を紹介してくれた。お訪ねした先生のアトリエには、厚塗りの重厚な感じの風景画が何点か掛けてあって、その時、はじめて間近に油絵を見せてもらい、自分も早く油絵を描いてみたいと思った。先生に見てもらった作品は、挿絵の複写と庭先を写生した複数の水彩画で、下手だと思った水彩画を褒めてくださって、絵とは何かを感じ始める…。」pp.119-120

Tomoyaさんが春陽会「東北新研究会」事務局へ問い合わせ

Harukana Showのトークの収録後、Plathさんからの依頼について、Tomoyaさん、Wataruさん、Ryutaさんに相談しました。Tomoyaさんがすぐに春陽会の東北新研究会へ連絡をとり、収録の翌日の2月11日には、Tomoyaさんから、柳沢さんと連絡をとることが可能であるという趣旨のメールを受け取りました。Mugikoは、2月12日には、柳沢健さんの息子の一実さんとお電話で話すことができました。健さんは94歳になられ、お電話でお話することは難しいご様子でした。

「父のアルバムにも同じ写真があります」

一実さんは、父の健さんがアメリカで出版された本の挿絵を描かれていたこともPlathさんについてもご存知なく、たいへん驚かれました。電話で、「父は、プラース先生と直接に会ったのでしょうか」と質問されました。Mugikoは、「プラース先生がが所有されている当時のアルバムには、柳沢さん宅で、健さん、香原さん、プラースさんが写っている写真があります、この時、健さんは、プラースさんに絵を贈られたのです」と話しました。すると、一実さんが、「父のアルバムにも、同じ写真があります。外国人の方が写っているので、覚えています」と話されました。柳沢健さんの絵を受け入れてくれる美術館がないかを探すことに同意していただきました。

東北新研究会事務局とTomoyaさんのおかげで、Plathさんと健さんとのご縁が、半世紀以上の歳月をへてつながりました。一実さんは、インターネットを使われていないので、その後、電話とお手紙でやりとりをするようになりました。アメリカにいるPlathさんがMugikoに、メールに添付して送られてくる写真や資料を印刷して一実さんに郵送しました。

60年前の記録と海をこえたつながりをつなぎ直すプロジェクト

こうして、60年前の松本市でのフィールドワークの記録とPlathさんとYanagisawaさんの絵をとおしたつながりをつなぎなおすプロジェクトが始まりました。Mugikoは早速、Plathさんが希望した美術館に連絡をとりました。2月末のことです。

その美術館は、柳沢健さんが松本市に貢献された画家であることをもちろん、ご存知でした。しかし、Plathさんが所蔵されている絵や資料は、これからその美術館では活用する機会はないであろうと判断されました。そして、健さんもPlathさんも90歳をこえるご高齢であることを気遣って、迅速に審議してくださいました。残念な結果ではありますが、担当者とのメールでのやりとりをとおして、真摯に対応してくださったことがMugikoにも伝わってきました。

Plathさんに2021年3月16日にメールで、一実さんには、3月17日に手紙で結果を伝えしました。ここで時間と場所をこえて記録をつなぐプロジェクトはあっけなく終了、するはずでした。ところが、1週間後、一実さんからお電話をいただきました。この絵はどこへゆくことになるのでしょうか。来週にトークは続きます(No.554-2)。Mugi

*番組で、白馬三山を正式にはシロウマサンザンとよぶようだとコメントしましたが、地元では、ハクバサンザンと呼ばれているそうです。来週の番組でお話しする朝日美術館の丸山真由美さんが、白馬村観光局に問い合わせてくださいました。ありがとうございました。

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