『遠来』、友部正人の永い旅をNYを舞台に描いたシネポエム
今回のHSの後半では、伊勢真一監督の最新作『遠来〜トモベのコトバ〜』を紹介しています。Mugikoはこの映画を2026年6月15日、京都シネマで観ました。映画のフライヤーにはこう記されています。
「映画『遠来』は、同時代を生き、ヒューマンドキュメンタリーの ”一本道” を歩んできた伊勢真一が、友部正人の永い旅をニューヨークを舞台に描いたシネポエムだ。」

友部正人さんは1950年生まれのミュージシャン、子育てがひと段落したのを機に夫婦でNYへ移り、1995年から20年間暮らしました。伊勢さんは、今から10年ほど前に友部さんとお連れ合いの小野由美子さんに会いにNYにゆき、その時の撮影をきかっけにこの映画が生まれました。
伊勢監督とHSのつながり
伊勢真一監督の映画は、イリノイ大学でもAsiaLENSで何度か上映されHSでも紹介してきました。また、2019年にミズーリ州Columbiaで開催されたTrue/False Film Festで『やさしくなあに〜奈緒ちゃんと家族の35年〜』(2017年)が招待上映された時には、TomさんとMugikoが伊勢さんに会いに現地にゆきました。
この時のHSのインタビューで伊勢さんは、できたばかりの『えんとこの歌〜寝たきり歌人・遠藤滋』2019についても話をしています。友部さんはこの映画では、喋ることができない遠藤滋に代わり彼の短歌を朗読しています。2019年5月のHSで伊勢さんのトークと共に友部正人「遠来」をお届けしました(HS No. 423, No. 424-2)。
Part2, 映画『遠来〜トモベのコトバ〜』を観て、伊勢さんと再会
Kyotoでは2026年6月12日〜18日に、京都シネマで『遠来』が上映されました。6月15日(月)は映画の後で「豊田勇造と伊勢真一トーク」が行われました。豊田さん(フォークシンガー)も伊勢さんも1949年生まれです。この映画のタイトルになっている「遠来」は、友部さんがNYにゆく以前に横浜に住んでいた時に、当時NYにいた豊田さんから届いたはがきがもとになって生まれた曲です。

『遠来』プレリリースPDFより

Mugikoは京都シネマで『遠来』を観て、豊田さんと初めてお会いしました。豊田さんから「吉田ルイ子没後2年展、『ハーレムの暑い日々』を中心に」の案内をいただき、また6月26日には豊田さんの「拾得」でのライブも見にゆきました。その話はHSでまた紹介しようと思います。
映画『遠来』に引き出されるさまざまな記憶
映画『遠来』を見ながらMugikoは、いろいろなことを思い出しました。友部さんのライブを1990年代半ばに見にゆき、「カルヴァドスのりんご」が心に残りました。『遠来』の映像の中の友部さんの表情は、私の記憶よりもずっと柔らかく、今の友部さんの声を生でふれてみたいと思いました。
伊勢進富座でのIseさんとの出会い
映画『遠来』の中で、友部さんが、三重県の伊勢進富座で「一本道」を歌う古い映像が流れます。Mugikoが伊勢さんと初めてお会いしたのも、この伊勢進富座でした。2012年3月10日、ここで伊勢真一監督『傍(かたわら)〜3月11日からの旅〜』が上映され、苫米地サトロさん(シンガーソングライター)と伊勢さんとのトークイベントが行われました(『傍』上映記録)。この時、伊勢さんと初対面でしたが、Mugikoの友人、知人、そしてリクオ(ミュージシャン、Mugikoの弟)も伊勢さんとつながりがあることを知りました。
その数ヶ月後、2012年7月にUCIMCでGrassroots Radio Conferenceが開催され、オンラインで日米を繋いでHSチーム(Tomさん、Tsujinoさん、Mugiko)が、WRFUのHarukana Showと日本の震災とコミュニティラジオについて話し、『傍』の予告編の映像を上映しました(HS No. 70)。伊勢さんとHSのつながりは、そこから続きます。
*’Radio Space’ A Presentation at the Grassroots Radio Conference, 2012 (You Tube)
Part3, 高田渡の骨がワシントン・スクエアの木の下に
観る人の世界に広がるシネポエム
この映画には、友部さんが歌と詩と声と息と、NYの暮らしの情景が染み込んでいます。何かを追いかけるドキュメンタリーというよりは、死者を含む「存在」とのつながりや気配、そこからはみ出る隙間に潜り込む記憶がふ〜と吹き出す。それに触れてしまった観客の静かな動揺もゆらゆらと映像に染み込んでいくような気がします。
高田渡さんがワシントン・スクエアに!?
最初は『遠来』を、「この世代のアーティストにとってNYは特別な思い入れのある場所なんだなあ」とどこか距離をおいて観ていました。ところが、突然、ある場面からMugikoの記憶が揺さぶられます。友部さんと由美子さんが高田渡(1949-2005)の一周忌に、ワシントン・スクエアのある木の下に骨を埋めたという話が出てきます。

40年以上前のある日、金沢でタカダワタルと出会う
あの渡さんのことだ。1980年代の初めに、まだ20歳そこそこのMugikoは金沢で、見知らぬおじさんに「昼間から飲めるところないかなあ」と声をかけられます。不用心にもバイト先の近くのおでん屋に案内しました。その人は、なかなか会うことができない幼い息子の話を数時間、語り続けました。そして、自分はミュージシャンでジョーハウスでライブをするから聞きにきませんか、と誘われました。タカダワタル、私にとっては初めて聞く名前でした。
高田渡さんとリクオ
その後、渡さんから時々ハガキが届きました。Mugikoは大学を卒業し、大阪の大学院に入学しました。渡さんから、京都の拾得でライブをするからと連絡があったので、大学生になって軽音で活動している弟を誘って見にゆきました。その時に渡さんに紹介した弟がプロのミュージシャンになり、その後はリクオから渡さんのことを聞くようになりました。2005年に渡さんが亡くなったことも。
*Blog: 高田渡さんと人と時間の不思議なつながり, May8, 2021
『遠来』とトモベさんの詩がつなぐ記憶とリアル
『遠来』を見た日、京都シネマには、Tokyoでの仕事を終えたリクオも駆けつけました。ちょうど一年前、2025年6月に、久しぶりに金沢にゆきました。学生時代にMugikoがバイトしていた「もっきりや」でリクオのライブがありました。そして渡さんの長い話を聞いたあの「おでん屋」も柿の木畠商店街にそのままありました。

高田渡さんからのハガキ、「大阪はにぎやか過ぎませんか?」
あまりにも突然、いろいろな記憶が押し寄せてきたので、Mugikoは動揺しました。そしてふっと何が「リアル」なんだろう、私は本当に渡さんとやりとりをしていたのだろうか、と思いました。自宅で、昔の手紙を放り込んでいた古い箱を開けてみました。そこから渡さんからの一枚のハガキが出てきました。1985年4月の消印です。最後にこう記されていました。
「元気でがんばって下さい。病気には気をつけて・・・再見!」
昼間から飲んでいた渡さんに、病気には気をつけて、と言われるのは妙な気分です。いつかワシントン・スクエアに行って、渡さんに会おうと思います。その時にまた。-Mugiko

◼️友部正人「カルヴァドスのりんご」◼️高田渡「こいつは墓場にならなくちゃ」