「その先の世界へ〜柳沢健コレクションを中心に〜」
Mugikoは7月11日に、長野県朝日村の朝日美術館と歴史民俗資料館を初めて訪問しました。昨年度は改修工事のため閉館していましたが、この4月にリニューアルオープンしました。6月13日から7月26日までは特別展「その先の世界へ〜柳沢健コレクションを中心に〜」が開催されていました。柳沢健(Yanagisawa Takeshi, 1926-2021)さんは、松本市を中心とした地元の「心の風景」を描き続けてきた画家です。朝日美術館では、丸山真由美さんをはじめ学芸員の方々、そして健さんの息子の柳沢一実さん・よし子さんご夫妻と時間を過ごしました。

朝日美術館「その先の世界へ 柳沢健コレクションを中心に」2026年6月13日〜7月26日
今週のPart3では「つなぐプロジェクト」の始まりを振り返り(No. 800-2)、朝日美術館と柳沢家訪問について話しています(No. 800-3)。HS 800回記念に「時間と場所をこえて記録をつなぐプロジェクト」第10話をお届けできることに、不思議なご縁を感じます。
Part3, つなぐプロジェクトの始まり-Plathさんの終活と依頼
【振り返り】録音の前半0-10m
「つなぐプロジェクト」は、2021年に始まりました。その年の1月23日にDavid W. Plath(1930-2022、イリノイ大学名誉教授、文化人類学、映像人類学)から長文のメールを受け取りました。柳沢健さんから贈られた絵を地元に返したい、という内容です。
Plathさんからの依頼、柳沢健『白馬三山』を地元に返したい
Plathさんは、ハーバード大学大学院に在籍中、1959年から1960年にかけて日本の松本市で現地調査を行い、1964年には『The After Hours』を出版しました。この時、イラストを担当したのが、松本市在住の画家柳沢健さんでした。信州大学医学部に勤務する香原志勢(Kohara Yukinari, 1928-2014, 人類学、人類行動学)さんの紹介でした。翌1965年には、Plathさんは来日し、香原さんと共に柳沢健さん宅を訪問しました。この時に柳沢健さんから贈られた油絵「白馬三山」を、Plathさんは、ずっと身近に飾り大切にしてきました。あれから55年を経て90歳を迎えたいま、この絵と関連する資料を地元に寄贈したいと考えるようになりました。しかし、柳沢健さんの連絡先はわからない。地元の美術館に寄贈したいと考えているが、手伝ってもらえないだろうか。
ヒントを探るー『心の風景画 柳沢健画集』(2009)
「終活」を始めた文化人類学者の思いを受けて、できる限りのことはしたいが、Mugikoはその画家や、松本市やその近辺にも繋がりはありません。インターネットで検索し、まずは古書店から『心の風景画 柳沢健画集』(2009)を入手しました。年譜には1926年(大正15年)長野県東筑摩郡里山辺村(現松本市)に生まれ、1947年(昭和22年)春陽会・関四郎五郎に師事する、と記されています。
偶然をつなぐー画家植村友哉さんの出演、「春陽会」
2021年2月のHSでは、Wataruさんの紹介で、大学の先輩である画家植村友哉さんがHSに初出演し、日本時間2月10日に、Wataruさん(U-C)、Tomoyaさん(Osaka)、Ryutaさん(Shizuoka)、Mugiko(Kyoto)がオンラインでつながり番組トークを収録しました(No. 516, No. 517, No. 518)。Tomoyaさんは画家となる一大決心をして会社を退職し、その後、「窓のある部屋」で関西春陽会の新人賞を受けたという話をされました。
偶然にも、Tomoyaさんも、柳沢健さんも、「春陽会」と関わっていました。番組の収録後、Tomoyaさんたちに、Plathさんからの依頼について相談しました。Tomoyaさんはすぐに春陽会の東北信研究会へ問い合わせ、翌日には柳沢健さんの連絡先をMugikoに知らせてくれました。
記録と時間の扉を開くー「同じ写真が父のアルバムにあります」
Mugikoは、2月12日に柳沢宅に電話をしました。息子の柳沢一実さんが電話をとられ「父は高齢のため電話で話すことは難しい」と言われました。Mugikoは、アメリカのPlathさんから依頼内容を伝えました。一実さんは、父がアメリカで出版された本の挿絵を描いていたこと、その著者がPlathさんだということを初めて耳にして驚かれました。「父は、プラース先生と直接に会ったのでしょうか」2021-09-1024x758.png)
Plathさんは、今回の依頼に際してMugikoに、1965年に柳沢家を訪問した際の写真が入ったアルバムの写真をメールに添付して送っていました。Mugikoは、この写真について電話で一実さんに説明しました。すると、「同じアルバムが柳沢宅にもあり、その写真に外国人が写っていたので印象深く覚えています」と話されました。日米の離れた場所にあった古いアルバムが、55年の歳月を経た時間の扉を開く「鍵」となりました。こうしてMugikoは、柳沢健作品を寄贈する地元の美術館を探すことについて、家族からの承諾を得ました。
「地元」の美術館への寄贈を断られる
Mugikoは、Plathさんが希望した市内の美術館に連絡しました。米国の研究者からの申し出は、最終的には受け入れられませんでした。残念な結果をPlathさんと一実さんに伝えました。その一週間後、今度は一実さんからの電話を受け取りました。「父、柳沢健がかつて展示会をした美術館があります。そこに連絡をとってみてはどうでしょうか」
朝日美術館・歴史民俗資料館の受け入れ
それが長野県朝日村にある朝日美術館でした。ここには歴史民俗資料館も併設されています。柳沢健作品とともにPlathさんが収集した現地資料を受け取ってもらえるかもしれない。Mugikoはすぐに朝日美術館に電話しました。学芸員の丸山真由美さんがPlathさんからの申し出を前向きに検討し、美術館で協議し受け入れてもらえることになりました。美術館と資料館を併設した朝日村のこの施設は、Plathさんにとっても理想的な寄贈先となりました。その後もPlathさんからの寄贈資料リストの内容が増えていきました。
パンデミックと荷物の輸送
ところが、当時はパンデミックで世界中で人、モノの移動が厳しく制限されていました。2021年6月、ようやく日米間の郵送サービスが一部再開しました。アメリカのPlathさんからMugiko宛に小包を慎重に一つずつ送り、2021年9月、最終的には全部の小包がKyotoに届きました。Mugikoがそれらを開封して内容確認し、一つにまとめて朝日美術館に宅配便で送りました。2021-01-1024x750.png)
「つなぐプロジェクト」がつむぐ物語
朝日美術館に『白馬三山』をはじめとした資料が到着したことを確認して、これまでの経緯をHarukana Showでも話しておこうと考えました。イリノイのPlathさんの記憶と思いを、さまざまな人が受けとめ、偶然をつなぎ、コロナ禍に海を渡り朝日村に絵が届く。この物語に「時間と場所をこえて記録をつなぐプロジェクト」とタイトルをつけ前後半に分けて、10月29日(No. 553-2)と11月4日(No. 554-2)に放送・配信しました。
こうしてPlathさんからの依頼を無事に終えました。ところが、「つなぐプロジェクト」はその後、思いもかけず、さまざまなエピソードを生み出し、2024年12月に第9話をお届けしました。そしてこの度、Mugikoはようやく、初めて朝日美術館を訪問することができました。長い説明になりましたが、第10話はNo. 800-3へ。