Harukana Show Podcast
2011/07/01
No.14-2 July 1, 2011 コミュニケーション・ツールとしてのZine
2011年7月1日放送②
ダイジェスト版11分48秒(11m48s)
*番組を収録することができませんでした。申し訳ありません。放送後にトークの内容を要約し、録音しました。
Small World Funnies
後半は、日本からスカイプでタテイシさんとつないでZineをめぐる話をしました。トークに入る前に、Urbana-Champaignとも縁がある、King Catというmini comicsの作者John Porcellinoさんを紹介しました。’Wathcha mean, Whats’s a zine?: the art of making Zine and Mini-Comics, by Mark Todd & Esther Pearl Watson,2006年のなかで、Porcellinoさんは、Small Word Funniesというタイトルで、彼の最初のZineとの出会いについてのマンガを掲載しています(pp.14-15)。そのエピソードの舞台となっているのが、なんと、ここUrbana-Champaignなのです。(詳細は、Mugi-chan blog:Zineな関係へ)
読者が入り込む余白
John Porcellinoさんのコミックは、曲線が柔らかくつながり、絵にも文字にも、独特の隙間があります。余白の空き具合がほどよく、読者が余白を心地よく味わうことができます。描かれたものだけでなく、空白に、John Porcellinoさんが作り出す世界の特色があるような気がします。
関係のなかで生み出されるSpace
余白をどのように生み出すか、スペースというテーマは、タテイシさんの好きなサッカーという競技においても、Zineにおいても、コミュニケーションの問題だ、というのがタテイシさんの今日のトークの強調点です。人を動かしながら、スペースを作ったり壊したりするのがサッカーであり、スペースがどのように変わっていくかは、参加者のあいだの関係しだい、自分たちの目的に達するために、みんなで協力してほどよいスペースを作り出す、その時に、余白を残す余裕が、サッカーの旨味である。自分がボールをもらいたい場所に最初から入り込むと、相手にとっては、その次の動きをすぐに察知されてしまいます。相手に自分の動きを読まれないように、ぐっと我慢して、”空き”を保ちつつ、相手をだましながら、チャンスを逃さない動きにでる。限られた空間のなかで、関係と流れとその先を読み、余白をたもっておくメンタリティが大事になります。
Zine-他者との関係を意識する
タテイシさんのサッカーの話をZineに引き寄せて考えると、Zineもまた、自分が一方的に主張するのではなく、それをコピーして綴じてZineとして作品をつくるなかで、そのZineが誰かに読まれることを想定しています。ひょっとして、自分の知らない読者に届くかもしれないし、自分が暮らし場所をこえた世界につながるかもしれません。他者との関係を意識すること、読者が入り込む余地を残すことが、余白、というかたちとなるのかもしれません。少なくともPorcellinoさんの作品には、生活や感性の細部を表現しながらも、紙の上で線と文字と空白のバランスをたもつ、それが彼の作品が息長く支持される要素のひとつじゃないかな、と思います。
コミュニケーション・ツールとしてのZine
今日のタテイシさんとのトークは、主張や表現することと、コミュにケーションへの意識、それがZineにとっては大切だという内容でした。それでは、日本でも、アメリカでも、Zineが制作されるだけでなく、どのように流通しZineをとおしたつながりが生み出されていくのか、コミュニケーション・ツールとしてのZineについて、またタテイシさんと話を展開していきたいと思います。
今日の最後の曲は、山崎まさよしの「あじさい」でした。U-Cのあじさいは、なぜか白い色が多いです。日本でも、ここでも、あじさいの季節も、そろそろ終わる頃でしょうか。