No.480, June5, 2020, COVID-19と映画、地域を拠点に映像制作(1) with Shiozaki-san

初夏、水無月

U-Cも、今週は、最高気温が30度をこえるかなり暑い日が続いていますね。Kyotoも最高気温が33度、冷房をつけずに部屋にいると、まったりした感じで暑かったです。今週は、近所の和菓子屋さんで「水無月」の販売を始めました。

U-Cでも夜間外出禁止令、抗議デモ

ミネソタ州ミネアポリスで警官が黒人男性George Floydさんを死亡させた事件をきっかけとした抗議活動や暴動が全国で発生、U-Cでも5月31日の夜から6月1日の朝にかけて夜間外出禁止令がだされました。また6月1日には、U-Cで抗議デモも行われました。”Here are photos from today’s protest in C-U“, June1, 2020/9:21pm, Patric Singer, Smie Politely

映画監督:塩崎祥平さんへのインタビュー

日本から塩崎祥平さん(映画監督、脚本家、プロデューサーの)へのインタビューをお届けしました(5月21日にオンラインで収録)。塩崎監督長編映画、『茜色の約束』(2012)、『かぞくわり』(2019)は、いずれも奈良を舞台とした作品です。Shiozakiさんは高校卒業後、アメリカに留学して映像制作について学びました。日米の映画作りの学び方の違い、COVID-19の映画産業への影響、地域を拠点とした映画づくりへの思いへと話は展開します。

Part1, 高校卒業後、米国へ留学、日米の映画の学び方の違い

ものつくり、表現への関心、高校卒業後、映画制作を学ぶために渡米

中学・高校時代、Shiozakiさんは、美術や音楽が好きでバンドを組んで演奏もしていました。ものつくり、表現をしたい、という思いはありました。しかし、家族と映画をみて育った、映画館によく行った、というわけではありません。たまたま映画館にゆく機会があり、自分にとって「面白くない」映画でしたが、お客さんの反応はさまざまでで、それが面白いなあ、と思いました。そんなきっかけで映画に興味をもち、高校卒業後、映画を学ぶために渡米しました。

「映画学」、ストーリー、シナリオ作りの重要性

アメリカでは、多くの大学で「映画学」が教科として存在し、理論、歴史から実践まで学ぶカリキュラムが確立しています。Shiozakiさんとしては、映像を撮る前に、「ストーリー」、シナリオの作り方が大事だと考えています。欧米では「ドラマ」という授業があり、「表現」について広く学ぶことができます。

日本での映画制作は、専門学校においても撮影技術から学び始める場合が多く、また現場においては現在でも「教えない美学」があります。日本的な職人気質と専門の方法論、それがうまく合わさればと思います。

アメリカでのマイノリティとして経験

映画制作の内容においてアメリカから受けた影響というのは直接にはありませんが、留学生として「マイノリティ」体験は、Shiozakiさんの映画にもあらわれています。『茜色の約束』の主人公は日系ブラジル人の少年ですが、彼の心情は、Shiozakiさんの経験にも重なります。

Part2, COVID−19と映画産業、東京一極集中の問題、地方での映像制作

映画配信、画面の大きさ、「引く」と「寄り」の撮影

現在はオンラインでの配信をとおして映画を観るとことができ、映画をどんな媒体、画面で観るのか、多様な選択肢があります。Shiozakiさんとしては、映画館でのスクリーンで観てもらえる映像を想定して制作しています。テレビなど動画を観る画面が小さくなるほど、「寄り」(アップ)のシーンが増えます。アップばかりだと視野が狭くなってしまいます。

そもそも人間の目は開いた瞬間に世界から無数のものを見ています。カメラを「引いて」撮影することで、大画面に風景や情景を広く細部までに映し出し、観る人と「世界」をつなぎ、そこから何かに焦点を絞ってアップして(「寄って」)見せる。そうした「引く」と「寄る」の組み合わせが大事だとShiozakiさんは考えています。

COVID-19 の影響、日本の映画制作が首都圏に一極集中の問題

COVID-19感染拡大防止対策のために、映画館での上映ができない状況が続き、日本の映画産業は大きな打撃を受けています。休館のあいだに上映予定だった新しい映画も、映画館が再開した時に、上映のチャンスがあるかどうかはわかりません。また日本の場合は、映画制作が首都圏に一極集中しており、東京が機能しなくなると映像制作がストップしてしまいます。映画制作者にとって、厳しい状況です。

コロナ渦と映画業界の過渡期

また、外出自粛のなかで映画を映画館ではなくオンラインでの配信によってプライベートな空間でみるという流れが加速されたことも、今後の映画のあり方に影響をおよぼすでしょう。映像を観る側も作る側にとっても、選択肢や可能性が広がる一方で、多様性の中で、どんな映画を作るのか、みるのか、方向性がつかめず「ぐちゃぐちゃ」になってしまう。「表現の自由」の危機という問題もあり、コロナ渦が、映画業界にも大きな変化をもたらすのではないかと思います。(まとめby Mugi)

Part3, Ryuta×Shiozaki×Mugiの3人の会話

映画学、メディア学の専門の方法論を修得する教育システム by Ryuta

大学に映画を学ぶ学部・学科があり、その中に作劇の基礎を学ぶ「ドラマ」という授業があったりするのと同様、アメリカでは「ジャーナリズム」も大学・大学院における専攻になっており (修士レベルのプロフェッショナルスクールに行くことが多い)、それを通じてジャーナリスティック・ライティングというものを体系立てて学びます。つまり、分野に入ってから、先輩の経験則を聞いて (あるいは背中を見て?) 身に着けるのではなく、その前提として、教育法とカリキュラムに基づいて、例えば新聞記事の書き方の方法論と実技を学習することになります。(ちなみに、大学によっては「クリエイティブ・ライティング」、つまり小説家になるための専攻もあったりします。) 

地方における層の厚さ、草の根ジャーナリズム、地方での映像制作

逆に言えば、これは、結局、全く違う分野に進んだり、突然一人でその仕事を始めたりして、まわりに「先輩」がいなかったとしても、それらの技能を使うことができる、ということでもあるかもしれません。映画制作や報道制作の中心からやや離れた、地方の町に行っても映画を撮ろうとしている人がいたり、草の根ジャーナリズムに取り組む人がいたり、という、アメリカでときどき見るある種の「層の厚さ」は、そういうところにも理由の一端があるのかもしれません。(そして、自己表現やジャーナリズムに取り組める人の層の厚さは、そのまま、民主主義の層の厚さでもあるように思ったりもします。) – Ryuta

専門家と一般の人々多様性をとりこんだ創作の可能性 by Mugi

アメリカでは映像やメディアの分野において大学で学び高い専門性をそなえた人々がプロとして活躍する一方で、WRFUやUCIMCのように、より多くの人々が、表現・発信し社会と関わるチャンスと実践の場を作るボランティアによる運動もあります。専門家とそうではない人々の多様性をとり込んだ開かれた創作活動がどのように可能なのだろうか。日本で地域に拠点をおいた映画作りをする場合に、地域の人々がどう関われるのか、巻き込まれるのか。プロと一般の人々のあいだのつなぎ方についてShiozakiさんに尋ねてみました。by Mugi

地方での映像制作、「やるかやらんか」の問題 by Shiozaki

地方で映像制作をしようとすると、地域の人々から「そんなこと自分たちにできるわけがない」という声がでます。でも、「できるかできないか」という問題ではなく、まずは、とりあえず動いてみる、「やるかやらんか」の問題、だと思います。試行錯誤も失敗もひとつのプロセスとして、地域の人々と互いに共有することができると、意識の変化が生まれます。表現の世界は、やろうと思えばさまざまに始めることができます。

地方にプロデューサーを育てる、地域間の連携

また映像制作に限らず、これから、地方に、プロのプロデューサーが育つことも大事です。東京が機能しないときでも、いろいろな地域が連携して制作や活動を継続させる。そんな仕組みつくりも、これからの課題かと思います。先例となるようなチャレンジを続けてゆきたいと思います、とShiozakiさんは話されていました。(まとめby Mugi)

■Babymetal feat. Joakim Broden “Oh! Majinai” ■Perfume “Future Pop

 

カテゴリー: Harukana Show-Podcast パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です