謹賀新年
Harukana Showは2021年も、いろいろな場所をつないだおしゃべりを、Urbanaのコミュニティラジオ局WRFUから世界へラジオ放送(104.5FM)、ストリーム配信(wrfu.net)し、HS番組サイトのPodcastdでもお届けしていきます。どうぞよろしくお願いいたします。
新春のスペシャルゲストは、映像作家・アーティストの竹田信平さん
Podcast Part1に『Hiroshima Nagasaki Download』紹介と本日お届けした音楽紹介(Shinpeiさん選曲)、 Part2はShinpeiさんの自己紹介と「アイ」の問題、Part3にドキュメンタリ映像作品制作と「ヒストリア」の問題ついて話しています。続いて来週、トークの後半をお届けします。
Part1, 謹賀新年、『Hiroshima Nagasaki Download』、曲紹介
Washington DCのTamakiさんから、2020年の年末の国会議事堂や美しい夜景の写真が届きました。新大統領の就任がまじか、DCからのニュースも、ますます注目されますね。
Shinpei Takeda『Hiroshima Nagasaki Download』(2010)
2020年11月オンラインで開催されたイリノイ大学CEAPS(Center for East Asian and Pacific Studies)主催のAMES(Asia Educational Media Service)による、AsiaLENS Fall2020で、『Hiroshima Nagasaki Download』がオンラインで上映され、11月10日にShinpeiさんとJasonさん(AMES)とのWebinarが行われました。映画を製作した当時30才さんのShinpeiさんが高校時代の同級生とともに、北米在住の広島・長崎の被爆者を訪ねてお話を伺うというロードムービです。(詳細は、HS Podcast No.503 参照)。
北米在住被爆者の「直接」の語り、取材者の「旅」の記録
Mugikoは、オンラインで映画を見ました。登場される方々のお話が生々しく、現在に「直接」に語りかけてくる印象を受けました。また、被爆者の語りを記録する若者2人の「旅」がこの映画のひとつの軸となっていることにも興味を持ちました。監督のShinpei Takedaさんとはどんな人なんだろう?ぜひお話を伺いたいと思い、CEAPSに連絡し、Shinpeiさんをご紹介いただきました。
2020年12月14日にドイツのドイツ・デュッセルドルフ在住のShinpeiさんと静岡のRyutaさん、そして京都のMugikoの3人を、今回はGoogle Meetでつなぎトークを収録させていただきました。Shinpeiさん、CEAPSのJasonさん、皆さん、ありがとうございます。以下、お話の内容は、Mugikoがまとめています。
Part2, Shinpeiさんの自己紹介:「アイ」とは何か、自分は誰か
幼少時代から今日まで、10年ごとに移動
1978年生まれ。10年ごとに、ドイツ、日本、アメリカ、メキシコに移り住み、ここ5年ほどは、ドイツのDüsseldorf(子供の頃住んでいた)を拠点に、メキシコのTijuana(ティファナ、米国との国境沿い)にも行ったり来たりしています。展示などプロジェクトがあれば、その場所へゆく、ある意味、労働移民です。ドイツでは映像作家として活動しています。メキシコでは、アートなど大きなものを作る。日本では、この夏は、長崎の爆心地公園に「声紋」を描く、「声紋源場―MEMORY UNDERTOW-」をしました。
使う言語によって人格が変わる
言語によって自分の人格が変わります。海外では、「他の人のことを気にしてるふりして、気にしない」という気の使い方をする筋肉が落ち、日本に戻って数週間経つと、普段以上に人のことを気にしてやたらに丁寧な言葉使いになります。日本語は、相手によって文脈によって主語の形が変わり、アイデンティティがふわふわとしていて、英語で言うならfluid(流動的)、時には「せこい」とも思います。
アメリカでIを学び、Iの空っぽさにも気づく
アメリカにいて、日本人が最初に学ぶのは、大文字の「I」。I think, I will、I wantと常に自分を主張しないと無視され続け、社会に参加できない。Iを習得するとヤミツキになり面白くなるけれど、何年もすると、そこで主張される「I」の中身が空っぽだってこともあると気づきます。メキシコで学んだスペイン語には、主語がなくても話せる。英語のようにIを主張しなくてもよい。ドイツ語を習得すると、今度は、どんな文脈でも主語はIchです。「I」とは何か、私は誰かが、自分に常に付いてくる問題です。
Part3, 北米在住の被爆者への取材、個人のストリーと公のヒストリー
個人のストリーと公のヒストリー
M:海外在住の、広島、長崎での被爆者と日本語で話すとき、気づくことがありますか。
S:被爆者の日本での語りは、「あの時はこうだった」と語られることが多いと思います。海外にいる被爆者を取材していると、「私はこういう経験をして、私はこう思った」と語られます。「個人としての歴史」を素直に聞くことができます。映画を観る人にとっても、新鮮に届きやすく、映像としても親近感を作りやすい。スペイン語では、ストリーもヒストリーも、ヒストリアという同じ単語です。僕はそれが好きです。「公の歴史」であっても、誰かが作った歴史の一部です。
聞き手のポジショナリティ、話し手との関係
M:話者の言葉をどうして「近い」と感じるのかな、と思いながら映画を観ていました。アメリカに住んでいることによって、被爆体験を話す機会が少なく、Shinpeiさんという聞き手が現れたことによって話すことができたからなのか、Shinpeiさんが編集してそうした場面を切り取ってつなげているからなのか、Shinpeiさんが話された「I」の問題なのか。
S:いろいろな理由があると思います。ひとつには、僕が、隣近所の住民じゃなく、あくまで「通過していく人」という設定だったことで、近すぎず話しやすかった。また、僕はおじいちゃん、おばあちゃんが好きで、お年寄りと話し慣れていて、「孫っぽい」というところもあります。また、僕自身も海外での居住が長いので、アメリカ在住の日系人としての経験もわかってくれると感じて話しやすい、という面もあります。そうしたことから、近い対話の場所が作れたのでないかと思います。
彼らと出会ったという実体験、歴史の一部を切り取る責任
M:あの映画に、自分たちを登場させたのはどうしてですか。ずっと、被爆者のお話が続くことはとてもしんどく、映画を観ている側は、それで助かった気がします。2人の若者が旅しながら、つぶやく、そういう場面があり、見る側が入るこむ場所が用意されていた。インタビューを撮影されたときに、意識して自身を含む映像を作られたのですか。
S:被爆者のお話を聞くという、あまりに重い、痛い経験をして、今の世界と次元が違いすぎて、他の人に話しても分かるわけがないという拒絶の気持ちと、自分で全てを抱え込むことができない、誰かと共有したいという思いがありました。そんなときにすごく仲の良い友人が、たまたま時間が空いていて旅を一緒にしてくれました。
S:最終的に映像に自分たちを入れたのは、橋渡しというか、あまりに次元が違いすぎる話を、現代にどう伝えていくか、自分たちを今の世界とつなぐブリッジにする方法でもありました。また、編集するということは、取材の内容の98%を切らないといけない。ドキュメンタリーとは現実なんだけれど、「編集」して手を加えている。でも、唯一、自分が当時者として話せること、確かなことは、自分が彼らと会ったという実体験です。公の歴史の大事なページの一部を、自分が切りとって編集した責任を引き受けつつ、自分の実体験も大事にしておかないといけないなあ、という意味でも、そこにいた自分を映像に出しました。(まとめbyMugi)
新潟(Niigata)在住のYoshiさんからコメントと写真が届きました。
双方向的に発信し共有する情報発信のあり方
Y:いま、トークで聴いている竹田信平監督の「Hiroshima Nagasaki Download」も面白い作品でした。オンラインで上映されたので観ることができました。聞き手側が長い長い旅行をしながら、戦争の痛みを抱えた人々の体験を積極的に聞いて、発信するというスタイルは、SNSで双方向的に発信し共有するという、いまの情報発信のあり方ではないかと思います。
Y:今日は一番の大雪になりました。関越トンネルの大雪が話題になりましたが、そのときの新潟市ではほとんど雪が降りませんでした。山の雪が『里に下りてきた』感があります。元日に子どもと一緒に雪だるまを作りました。ヘルメットをかぶっている方が私、バケツをかぶっている方が息子の作品です。by Yoshi
■George Clinton and the Parliament Funkadelic「We Want The Funk」■Elliot Smith「Say Yes」■Bela Fleck & The Flecktones「Stomping Grounds」(Shinpeiさんがアメリカに留学された時の思い出の曲。Podcast Part1で曲紹介しています)