近代化とは何かーアラスカをめぐるグローカル政治史から再考する
Part2&3は、Kojiさんの5月トークの最終回。Kojiさんがイリノイ大学歴史学部に提出した学位論文のお話です。1880年代以降のアラスカの歴史を、海と陸上をめぐるアメリカ、ロシア、日本などの隣接諸国の地政図の中で読み解き、その土地と海に生きてきた「先住民」の視点からとらえ直そうとする試みです。Mugikoの率直な問いかけ、Ryutaさんの鋭いコメントに、Kojiさんの語りが熱くなります。聞いている人が引き込まれ現代の問題を考えさせられるトークです。2022年5月2日に収録しました。文章もKojiさんにまとめていただきました。なお、今週のHarukana Show の前半(Part1)は、No.582-1をご覧ください。
Part2, アメリカ帝国史における「アラスカ」、侵略者としての日本人
Part3, 海を可視化しようとした人々の物語、海洋資源をめぐる政治と科学
1880年代以降のアラスカ南西部におけるサケ漁業の歴史的発展と米国と日本
2021年5月にイリノイ大学から博士号を取得しましたが、博士論文では1880年代以降のアラスカ南西部におけるサケ漁業の歴史的発展を研究しました。イリノイ大学での在学中に、アメリカを帝国として捉え直す方法論に関心を持つようになり、そのアメリカ帝国研究の中でアラスカが等閑視されているように感じてアラスカの研究をするようになりました。研究を進める中でアラスカのサケ漁業には日本人も深く関係していたことが分かり、このテーマで博士論文を執筆することにしました。
先住民の経験からアラスカの歴史を再考するアメリカ帝国研究
アラスカを植民地と見なすかどうかは今でも非常に大きな論争があります。アラスカを植民地と呼ぶ場合、アメリカがロシアからアラスカを購入した1867年以前のロシア領時代のアラスカを指す場合が多くあります。その一方で、1867年から1959年までのアメリカの準州時代のアラスカを植民地と呼ぶ人もいれば、私のように現在のアラスカもアメリカ本土に搾取される植民地と呼ぶ人もいます。いずれにしても、先住民の人々が経験してきた様々な種類の暴力の視座からアラスカの歴史を考えることがアメリカ帝国研究の本質的重要性だと感じています。
アラスカ先住民研究の難しさと資料調査の旅
アラスカの先住民の研究で困難だと感じるのは、文字で残されている記録が限られているということと、記録そのものが帝国に所属していた白人の視点から書かれたものであるということです。私が注目したアラスカ南西部については資料そのものの量も他のアラスカの地域に比べて少なく、分散していて回収するのが困難という問題もありました。結果的に、博士論文の執筆のために、アメリカのワシントンDC・シアトル・バークレー・フェアバンクス、カナダのオタワ、日本の東京・函館といった場所の資料館や図書館を訪問し資料調査をおこないました。

How Japan Could Attack U.S (1937) digital library , Cornell University