U-Cは寒すぎる!
Champaign-UrbanaもSt. Louisもマイナス15℃の厳しい寒さです。ChampaignのAlexさんは、部屋着のままゴミを外に出しにいったら寒くて体が動かなかったと話していました。これくらい寒いときは手や耳を覆わずに外出すると凍傷になってしまいます。賃貸アパートの契約書にも、凍結しないように部屋の温度の設定を華氏55度以上にしておくといった注意が書いてあるそうです。
世代の違う3人のおしゃべり
UrbanaのWRFUのスタジオからTomさんがミキサーの具合が悪いとつぶやきながら、インターネットでChampaignのAlexさん、St. LouisのRyutaさん、KyotoのMugikoをつないでくれました。Podcastは3部構成です。1部は「寒い!」話題、2部では、世代の違う3人の音楽談義を韓国出身のAlexさんがつなぎます。3部は、Mugikoのイリノイ滞在の発見!についてです。
HS Podcast No.198-1, Jan.9, 2015:寒さ、スキー、U-Cイベント情報
HS Podcast No.198-2, Jan.9, 2015:Alexさんのおすすめ曲にちなんで
HS Podcast No.198-3, Jan.9, 2015:イリノイのアンティークショップに蝋管蓄音機
蝋管蓄音機発見!
今回のイリノイ滞在の発見は、Ediphoneです。これはエジソン社の蝋管蓄音機です。日本では、ディクタフォン(dictaphone)という商品のほうが一般的かもしれません。「ディクタフォン」とは、Weblio辞書実用日本語表現辞典には、「主に1920年代から30年代にかけて、口述筆記の目的で使用された会話の録音と再生ができる機械。蝋管録音機とも言う。送話口に向かって発声すると、空気の振動によって蝋管に溝が刻まれ、音が記録される仕組みになっている。再生の際には、再生用の張針が溝をなぞった際の振動が増幅され、スピーカーから音声が流れる」と説明されています。
「NHK放送博物館 所蔵資料、録音機」には、1929年製の10-A型 ディクタフォンが紹介されていました。
もともとは、トーマス・エジソンが1877年に錫(すず)箔に音溝を刻み再生したのが最初の蓄音機(フォノグラフ)ですが、後にこれが蝋(ろう)を塗ったボール紙の蝋管がベルらによって考案され(グラフォフォン)、さらに改良を加え蝋管式蓄音機へと展開しました。日本でも1930年代まで使用されていたようです。
そんな歴史的な(?)録音機が、イリノイの小さな町のアンティークショップに、近所の人が持ち込んだようなセカンドハンドの日用品とともに並んでいるとは!といっても、私は、ディクタフォンという言葉も、そもそも、蓄音機の始まりも、まったく知識がなく、アンティークショップ巡りにつきあってくれたトムさんが、「わあ〜、珍しいなあ、ディクタフォンがこんなところにあるなんて」と感動しているのをみて、これ何するもんやろ、ときょとんとしていました。
後から少し調べ始めると、「人の声を刻む」という歴史がここにあるんだなあ、と一人感慨にふけっておりました。ちなみに、日本オーディオ協会によると、12月6日は「音の日」、「1877年12月6日はトーマス・エジソンが錫箔蓄音機「フォノグラフ」を発明した日であり、まさにオーディオの誕生日ということになります。」
Alexさんの今週のおすすめ曲
今週はまた70年代の曲たちを選びました。一つめは平尾昌晃・畑中葉子の「カナダからの手紙」(1978)、二つめは森田公一とトップギャランの「青春時代」(1976)です。両方ともオリコンチャートで何週間も一位となった人気曲です。ちなみに「青春時代」はミリオンセラーもなりこれで紅白歌合戦にも出演しました。麦子さんはこの曲たちを聴いたことありますか?Alex
Ryutaさんは、この昔の歌謡曲をまったく知らない様子、Mugikoは、中高生の頃かな、テレビからよく流れていました。放送後、Podcastを見た母が、「実は、私、平尾昌晃が好きやったんや」とレコードを出してきました。びっくり。当時のレコードのジャケット写真を添付しておきます。Mugi
■GO!GO!7188「Jet Ninjin (Jet Carrot)」←先週Alexさんが紹介してくれた(Podcast No.197)JITTERIN’JINNにちなんだ曲です。■ 平尾昌晃・畑中葉子「カナダからの手紙」(1978) ■ 森田公一とトップギャラン「青春時代」(1976)■つじあやの「新しい日々」