外は寒く、ハートは熱い(?)バレンタインデー
Urbana-Champaingは、週末また寒くなりそう。バレンタインデー前日、UrbanaのWRFUのスタジオのTomさんに話題をふると、「今年は何日かなあ〜」と。「いやいや、バレンタインデーというものは、毎年2月14日だと思うよ」「そう」、と会話がまったく盛りあがらず、相変わらずクールなTomさんです。今日の番組は、St. LouisからRyutaさん、KyotoからMugikoです。
Alexさんの今週のおすすめ曲
Alexさんにも、韓国ではバレンタインはどんな日ですか、メールで尋ねてみました。韓国もアメリカと日本みたいにバレンタインデーはカップルたちにはかなり重要な日ですね。バレンタインにぴったりな今週の曲は「渡り廊下走り隊7」の「バレンタイン・キッス」です。おニャン子クラブのメンバーだった「国生さゆり」の曲をリメイクしています。ちなみに「渡り廊下走り隊7」は「AKB48」の派生ユニットだったんですが今は解散しました。by Alex
Podcastは4部構成
HS Podcast No.203-1, Feb.13, 2015:バレンタインデー、Alexさんのおすすめ曲、U-Cイベント情報、World Radaio Day!
HS Podcast No.203-2, Feb.13, 2015 :Hiraharaさん後半トーク(1)
HS Podcast No.203-3, Feb.13, 2015:Hiraharaさん後半トーク(2)
HS Podcast No.203-4, Feb.13, 2015:トークのコメント
U-Cイベント情報
◎Sake Paring @ Japan House 2/21(土) 5:00pm-6:30pm利き酒&和風料理(今回マグロ)
World Radio Dayスペシャル:日系社会向けのラジオの歴史
2月13日は国連制定の「世界ラジオの日」(World Radio Day/Dia Mundial Radio)。先週(Podcast No.202)に続き、Hiranaraさんのトーク後半をお届けします。短波放送に夢中だったHiraharaさんのラジオへの思いが展開していきます。
大学でスペイン語を学んだのは
Hiraharaさんは、子供のころから「インカ帝国の秘密」「マヤ文明の謎」といった本が好きでした。シュリーマンの「古代への情熱」を読んで考古学者になろうと考えたこともありました。また、ラジオを通じてラテンアメリカ諸国に興味をもち、大学ではスペイン語を専攻しました。
短波放送が家電の影響を受けるなどしてノイズが多くなり受信が難しくなると、Hiraharaさんは今度は、中南米の日系社会人向けのラジオの歴史を追いかけるようになりました。
日本語ラジオ番組と邦字新聞
Hiraharaさんは2000年、東京で開催されたアジア放送研究会の研修会で、世界各国の現地向け日本語放送についての発表を聞き、自分が知らない資料がたくさんあることに衝撃を受けます。翌週から、JICAの資料室や国立国会図書館へゆき、中南米諸国で発行されている新聞などから日系人向けのラジオ番組に関する記事や広告を調べ始めました。
Hiraharaさんだからこそできる調査
さらには、現地のラジオ局にも足を運び関係者の話を聞くなど、スペイン語、ポルトガル語が堪能なHiraharaさんだからこそできる調査を続けてきました。戦前のラジオ番組関してご存知の方の多くが亡くなられています。新聞などの文献はあまりにも資料が多く、その一方で欠号もあり、調査はなかなか思うようにすすみません。途中で投げ出したくもなりましたが、10年あまりの歳月をかけて、2010年に『日本時間—日本社会向けのラジオ番組』ブラジル編を、2012年に中南米諸国編を発行しました。(詳細、連絡先はこちらへ)
政策に翻弄されるラジオ
ブラジルでは、第二次世界大戦のあいだは、日本は敵国となり日本語放送は中断されました。戦後、1950年代後半には、今度は、日本語番組ブームとなります。1961年には、日本の毎日放送と、ブラジルのRadio Cultura、サンパウロ共同文化が合併して「ブラジル毎日放送」を設立しました。短波チャンネルを利用したブラジル全土に向けた放送に加え、サンパウロの中波局でも放送を開始。この頃は、日本移民の経済力も高くなりその購買力に期待し、日系企業以外の会社も日本語番組に盛んに広告を出すようになりました。しかし、1964年から軍事政権下では、外国語放送への規制が強くなります。
1990年代にはその規制もなくなりましたが、ラジオの日本語放送が復活することはありませんでした。日本への出稼ぎブームで日本語を理解する世代が減少したことやNHK衛星放送の開始で、音楽やニュースに手軽にアクセスできるようになったからです。しかし、制限をかいくぐって昔から細々と続けられてきた日本語ラジオ番組は地元に密着した 情報を提供することで未だに続けられています。
次の『日本時間』は北米編
この本は、短波放送のファンのあいだで話題になりました。また、中南米諸国のラジオ関係者や日系人のあいだでも貴重な記録として、スペイン語などの翻訳が切望されています。Hiraharaさんは、現在、北米の日系社会向けのラジオの歴史の調査をすすめています。
エスニック・マーケティングの先駆け?
Ryutaさんは、Hiraharaさんの日系新聞からラジオを読むという手法に関心をもちました。「1950年代にブームとなったブラジルの日系社会向けのラジオは、今日でいうエスニック・マーケッティングを先駆的に行ってきたと言えるかもしれません」。(Ryuta)
2冊の『日本時間』を読むと、日本からの移住者のその土地での暮らしと息づかいが生々しく伝わってくるような気がします。ラジオ番組のありかたは、その国の政治と経済を直接に反映しながらも、電波は国境をこえ世界のたくさんの個人(BCLファンと)をつないでいると思います。Hirahaさんの本は、その重層的な歴史を描いています。(Mugi)
- 渡り廊下走り隊7「バレンタイン・キッス(カバー)」■Sonora Ponceña「El Pio Pio」
- Conjunto Clasico「Teresita」(テレシータ)