くらしのゆきさき
「星空と路」上映室2018年のサブタイトルは、「暮らしの行き先」です。パンフレットには、「地域の復旧・復興が進む一方で、そこにあった暮らしの不安が見えにくくなる今、私たちがこれから歩んでいく道のりについて」考えるきっかけになればと記されていました。「ゆきさき」という音の響きの先に何が見えてくるのだろう。
それぞれの人の歳月に触れる場
上映の間の休憩時間に、近くに座っているお年寄りから声をかけられることがあります。「疲れるねえ」と飴をいただいたり、「どこから来たの?」と尋ねられたりします。80歳半ばのその人は、自分は転勤で日本各地に住んで、退職後地元に戻ったけれど、津波で家も車も流され、今は仙台に住んでいる、と何回かの休み時間に分けて話されました。自分にとって大切な場所や記憶が写っている映像を観に来られたのだと思います。昨年だったら、2年前だったら、他所から来た私にそうした話をされなかったかもしれません。それぞれの人の歳月が、「星空と路」上映室には流れているのだと思います。
上映会の映像の問いかけの連なり
被災地についての映像だけでなく、震災をめぐる体験をとおして、それぞれの人の生き方や暮らし方や土地へのふれ方に、どんな変化があったのかをそっととらえる言葉や場面が印象的でした。たくさんの映像が続けてみると、そこからの問いかけが、交錯したり連なったりしていきます。『根をほすぐ』(制作小森はるか、2018年)は岩手県陸前高田市の「佐藤たね屋」さんの解体作業の記録、『In-Field Studioの試みー大地からHumanityを組み立て直す』(撮影・編集:林剛平/はしもとさゆり/佐藤研吾)は遠くインド、シャンティニケタンの民家の再建作業の映像です。
土と触れる暮らしと開発
インド、シャンティニケタンの映像では、裸足で、素手で土とふれる暮らしの中に、開発事業としてのセメントの水路が集落を流れ、村の池では住民たちが共同で魚採りをしている様子が写っていました。私は、1988年から91年にかけて、バングラデシュに計2年ほど住んでいました。同じベンガルの30年前の風景を懐かしく思い出しました。農村に住んでいた時、まだ電気、水道、ガスはなく、村の中では裸足で飛び回り、外出するときは池で水浴びして男子も櫛で髪を整え、身だしなみに気をつかっていました。あらゆる物を使いきるので、私は、書き損じた手紙さえほかす場所がなく、さまざまに戸惑いました。
自力で作る、解体する、また使う
陸前高田の佐藤たね屋さんは、自分で立てたプレハブの種苗店を自力で解体する様子を写した映像です。佐藤さんは、「以前は、多くの作業を人任せにしていたけれど、震災以後、自分の手でできることがたくさんあること、また、いろいろなものがまだ使えることを知った」と映像のなかで語ります。でも、移転先の新しいお店は、コンクリートで固められた高台にあります。復興や開発をとおして大規模に整備される環境のなかで、どんな暮らしや生き方を自分の手、体に取り戻すことができるのか、遠く離れた場所からの複数の映像作品は、重なる問いかけをしているようでした。
PACA@Champaign, 物と人と場所と記憶をつなぐ仕組み
その2本の作品とその後のトークイベントを聞きながら、私は、アメリカのUrbana-ChampaignのPACA(Preservation & Conservation Association)の活動の1つ、Salvageを思い出しました(HS Podcast No.75)。地域で壊される建物からまだ使える建材や建具や家具や部品などを回収し、倉庫に集めます。PACAのお店には、家の修理やちょっとした部品をお客さんが求めに来て、どうやって使ったらいいかを相談したりします。そのお店で木の板や家具や部品を買った人たちは、自分の家に不要になったものがあれば、PACAへ持ち寄ります。日本だと破棄される使いふるされた建材や金具や小さな物たちをリユースするだけでなく、そうした活動をとおして、人と場所と建物の記憶と物をつないでいく。
顔が見える関係のなかの「交換」を循環させる「仕組み」作りを、U-Cでも、smtで観た映像の中でも試みられているのかなと思います。
WRFU@Urbanaもみんなで手作り、プロセスを開く、わざわざいつも呼びかける
Harukana Showを放送しているWRFUスタジオも、UCIMCの会員や関係者が資材や機材を持ち寄付して2005年に作られました。2012年に新しく建てられた100フィートの電波塔も、何年もかけて寄付を募り、ようやく目標額に達しました。いよいよ電波塔を立てる時には、「必要な物」をリストアップし、UCIMCのメンバーに知らせ、60種類以上の物がほとんどの集まりました。イリノイの厳しい冬の始まりでしたが、作業の様子を随時にメールで報告し、作業中は熱くなるから脱げる服装で、と細かくアドバイスを添えていつも参加を募っていました。最終的には、こんなタワーを、他のコミュニティラジオのメンバーからの指南を受けながら、地元の人たちが自分たちの手で組み立てあげました。周囲にいつも、わざわざ呼びかけ、関心をつなぎ、プロセスを見えるように開く。面倒だけど、楽しく巻き込むコツです。(西川麦子2013「運動としてのコミュニティ・メディア:アメリカ、イリノイ州、WRFU-LPとグローカルナネットワーク」)
仙台のsmtの活動も遠くて参加できないけれど、サイトを見たり本や雑誌で見て面白そうだなあ、と思います。
京都・出町座で小森はるか『息の跡』上映中
仙台から京都に戻り出町桝形商店街に立ち寄った時、「出町座」*の映画館の前で立ち止まりました。あれ、小森はるか監督『息の跡』(2016)を上映中(2/24~)です。『息の跡』は、陸前高田市の種苗店「佐藤たね屋」が、津波で自宅県店舗を流されその跡地に自力でプレハブを立て営業を再開し、自らの体験を独学の英語で綴り自費出版するなどの活動を続けてゆく、その記録映像の劇場版です。私が、smtで見た『根をほぐす』は、この『息の跡』が完成した直後からの「佐藤たね屋」さんとその活動を撮る小森さんとの関係の記録です。小森はるか・瀬尾夏美共同制作『波のした、土の上』は、以前、smtで観ましたが、劇場版を京都で上映しているとは「出町座」の前で知りました。映画の中の佐藤さんや監督の小森さんと再会したような気分になりました。
それぞれの場所の暮らしのその人の人生の感覚をつなぐ
「星空と路」上映室という場で、2018年は、少し、勝手に、自分に引きつけて映像を見て感想を書きました。暮らしや人生や、あるいは何かにこだわる、考えざるえない状況のなかで自分が当事者であると意識するときに、離れた場所、異なる状況においての別の生活者の感覚とも根っこのところでふれあうことができるようになるのかもしれません。異なる場所での暮らしや感性をつむぎつなぐものが、映像だったり、アートだったり、グラスルーツメディアだったり、いろいろな活動だったりすればいいなあ、私は、Harukana ShowやGrassroots Media Zineをとおして、いろいろな人がその場所で感じていることや、その時のその人の想いや息づかいをゆっくりと伝えていきたい、と思いました。Mugi