春のHarukana Show Special、90分番組
本日3 月15日と、3月22日、29日は、時間を延長して90分番組をお届けします。U-Cでは金曜日6pm-7.30pm、日本からストリーム配信をお聴きの方は、土曜日8am-9.30amとなります。春のスペシャル番組第1弾は、イギリス在住のアメリカ人Record ProducerのJoe Boydさんへのインタビューです。収録音源は英語ですが、RyutaさんとMugikoが日本語でコメントしていますので、合わせて聞いていただくと、英語のトーク内容が分かりやすいかと思います。
HS Podcast No.417-1:東日本大震災から8年、St. Patrick’s Day
HS Podcast No.417-2:Joe Boyd Interview Part1&コメント
HS Podcast No.417-3:Joe Boyd Interview Part2&コメント
HS Podcast No.417-4:コメント
St. Patrick’s Dayの家庭料理、キャベツとコンビーフ
Daylight Saving Time が始まり、夕方が明るく、長くなりました。3月14日は、気温が20℃まで上がり、突風が吹き荒れましたが、翌朝にはみぞれが降る寒さに戻りました。スーパーマーケットでは、キャベツが山盛り、1個50¢ほどの安さで売られていました。3月17日のSt. Patrick’s Dayのご馳走?Tamakiさんに聞いて見ました。
お尋ねのcorned beef and cabbageは、時間さえあれば簡単に出来る塊肉をブライン液に漬け込んでスパイスと野菜を加えて煮込む料理です。米国でみかけるのはアイルランド料理のアメリカ風アレンジのようですが、St.Patrick’s dayのspecial mealというより普段の家庭料理のひとつです。こんなイメージです。by Tamaki
Harukana Show Special Interview
with Joe Boyd
Self-introduction(0:16, English)
Joe Boyd (1942-): アメリカ人レコードプロドューサー。1964年に初めて渡英。翌年には、 アメリカのレコード会社Electra Recordのイギリスの会社で働くために再びイギリスに渡ります。
Londonに到着してすぐに、Joeは、John ‘Hoppy’ Hopkins(1937-2015)に誘われて、Notting HillでのLondon Free Schoolの立ち上げに関わります。LFSは、Hoppyが1965年に渡米した際に見聞したFree University of New Yorkから発想を得ています。若いアーティストや活動家たちが住民に呼びかけて自由な学び合いの場を作ろうとした活動です。西川麦子2016
HoppyとJoeは、1966年12月には、UFO Club というライブハウスを始め、ここでPink Floydや Soft Machineなどのバンドが演奏し、イギリスのアンダーグラウンド文化の一つの拠点となりました。Joeは、フォーク音楽に造詣が深く、1980年にイギリスでHannibal Records labelを立ち上げ、World Musicというジャンルを広めてゆきます。
Mugikoは、Notting Hillの1960年代のコミュニテイ活動や対抗文化の活動についての調査をとおしてHoppyと知り合いました。Grassroots Media Zine 3(2016)は、Hoppy へのインタビュー(2009-2014)をもとに、Hoppyが関わった1960年代のLondonの対抗文化の活動やLFSについて紹介しています。
Hoppyの友人からの紹介で、Joe BoydへGMZ3を送り、2016年9月にお会いすることができました。また、2019年1月にLondonの自宅を訪問した際に、2016年のインタビューのHarukana Showでの放送の承諾と、選曲もしていただきました。番組ではPart1とPart2に分けて音楽を挟んでJoe Boydのインタビューをお届けしました。下記にトークの内容を短くまとめました。Mugi
Part1, His impression of London and the UK in the 60s(11:26, English)
イギリスにおける政治的というより“Cultural Revolution”
1960年代のLondonの音楽、アートなどの対抗文化の活動は、Joe にとっては、”Cultural Revolution”として、とても興味深いものでした。アメリカは、公民権運動、黒人差別と抗議運動、そしてベトナム戦争参戦、徴兵制などの緊迫した問題を抱え、若者にとっても自分の生死に関わる深刻な事態にありました。また、多くの暴力事件が起きていました。
当時のイギリスは、Joeの目から見ると、人々の政治への関心は、地域、コミュニティレベルにありました。また、Harold Wilson首相は、ベトナム戦争へ軍隊を派遣しませんでした。そうした状況の中で、アメリカにない華やかな(奇抜な)ファッションやアンダーグラウンド・カルチャーが展開して、アメリカへも影響を与えました。
こうした英米の政治的背景や社会的状況の違いは、例えば、1969年にThe Rolling Stonesが主催した2つの野外・フリーコンサートにも現れています。7月にLondonのHyde Parkで行われたコンサートは、Hells Angelsの警備のもとで平穏に行われました。しかし、12月にアメリカのAltamont でのコンサートでは、警備を担当したHells Angelsが観客を殺害するという事態が起きてしまいました。
Part2, The Folk music in the UK(6:31, English)
その場所、文化の独自の要素を含んだ音楽
Joe Boydは、政治にも関心はありますが、何よりも音楽に深く関わってきました。1960年代半ばのイギリスでは、同じブルースであっても、アメリカのバンドが奏でる音楽と、Pink Floydの演奏は異なりました。Joeは、イギリス、あるいはその場所の独自の要素を含んだ音楽に強く惹かれていきました。スコットランド出身のThe Incredible String BandなどFolk groupを見出し、プロデュースしていきました。
今日お届けした3曲、The Incredible String Band, “Everything’s Fine Right Now“(1966)、Fairport Convention, “Crazy Man Micheal”(1969)、Nick Drake, ” Poor Boy “(1970) は、Joe Boyd がプロデュースしたレコードからの選曲です( まとめ Mugi)
2011年3月
2011年3月 、Mugikoは、Urbanaのダウンタウンに住んでいました。近所にはUrbana Champaign Independent Media Centerがあり、そのプロジェクトであるコミュニティラジオ局WRFUに、3月初めに日本語番組の申請を行いました。ラジオ局のスタジオと日本をオンラインでつないだ生放送の日本語トーク番組という企画でした。しかし、その直後、3月11日東日本大震災が発生し、想像を絶する事態の中で、海外から、日本の何を話せばよいのか分からず、番組開始を中止しようとも考えました。でも、どこにいても、どんな状況であっても、そこから生まれるいろいろな人の言葉と記憶をつなぎながら、さまざまな今をゆっくりと長く残していこうと思い直しました。
8年が過ぎました
本日は、417回めのHarukana Showでした。U-CのスタジオにいるMugikoと日本にいるRyutaさんがオンラインでつながり番組を進行し、機材担当のTomさんが地域と世界へ放送・配信し、「聞こえました」と日本からメールをいただく。アメリカ人Joe Boydの目に映った1960年代のイギリスについて、MugikoがLondonで行ったインタビューを、アメリカのコミュニティ・ラジオ局WRFUの日本語番組で紹介し、60年代にまだ生まれていなかったRyutaさんが率直な感想を述べる。この不思議なメディア空間では、誰もがStranger、いろいろな気づきがあればいいなあと思います。Mugi