Niigata, Shizuoka, Kyotoをつないで2024年の最後のトーク
U-Cは、年末は寒さがゆるんだようですね。Harukana Show2024の最後のトークは、NiigataからYoshiさんをお迎えして、Ryutaさん(Shizuoka)とMugiko(Kyoto)の3人でじっくりおしゃべりしました。収録は、12月26日(木)です。Niigataは、山側は雪が深くつもりますが、Yoshiさんが住む平野部は、風は強いけれど、積雪はそれほど多くないそうです。ところで、Yoshiさん宅では、今年は干し柿はうまくできましたか。Part1では、そんな季節のおしゃべりから始まります。
Part1, Niigataから季節のトーク、今年の干し柿も良好 with Yoshi
Part2 & 3では、2024年2月23日〜25日に北海道、朱鞠内で開催された「日韓記憶活動家のライフストーリーワークショップ」(Memory Activists’ Life-Story Workshop、ここでは「ワークショップ」と記します)について、参加されたYoshiさんにお話を伺いました。12月8日に亡くなった鄭炳浩(チョン・ビョンホ, Chung Byung-Ho )さんも主催者の一人で、ワークショップではファシリテーターをされていました。
Part2, 朱鞠内で記憶活動家の「共感対話」 with Yoshiさん
Part3, 和解と平和、Chung Byung-Hoさんの思いをそれぞれにつなぐ
Yoshiさんの1分間、自己紹介
Yoshi(吉澤文寿)さんは、新潟国際情報大学国際学部に勤務、専門は朝鮮現代史です。日本と朝鮮との関係、とくに植民地支配や植民地主義に関して研究されています。大学ではKorean languageも教えています。市民運動として、外交文書の公開運動や、北海道の朱鞠内や、佐渡鉱山をはじめとした新潟県内各地での朝鮮人強制動員、労働者の記録や足跡についてのフィールドワークをしています。
「日韓記憶活動家」は参加者の共通項だが、、、
朱鞠内で行われたワークショップには、Yoshiさんのように日韓で活動する人々が20名ほど集まりました。「日韓記憶活動家」というのは集まった人々の共通項のひとつですが、しかし、ここでいうライフストーリーとは、それぞれの活動について話すことではありません。では、どんなイベントなのでしょうか。キーワードは、「共感対話」。HSでは、初めて聞くことばなので、ワークショップのパンフレットから説明の一部を記載します。
「文化間対話」のひとつの方法としての「共感対話」
「共感対話(empathy dialogue)」とは、「文化間対話(Intercultural Dialogue)」と呼ばれる プログラムの中の一つのやり方です。 「文化間対話」とは、文化的背 景を別にする人々が、互いの違いを認め、心を開き、コミュニケーシ ョンをすることで、偏見を克服し平等な関係を作れるよう開発された プログラムです。 このような「文化間対話」は、異なる文化背景また は世界観を持つ個人、集団、団体が、心を開いて、互いを尊重し意見 を交換し交流する過程で、ドイツなどヨーロッパで広く活用されてい ます。 p.3
「その場に共感が存在すること」
「文化間対話」をする際に、最も重要な条件とは「その場に共感が存在すること」です。…「共感対話」は、文化は固着した不変のものではなく、躍動的に変わるものだという認識から出発します。「共感対話」を通じて東アジアが直面している葛藤を越え、文化的多様性と人権を尊重する道を開こうと思います。p.4
韓国の「境界を越えるライフストーリー」プログラムsince 2012
韓国では、「境界を越えるライフストーリー」というプログラムで、2012年から現在まで続いています。この共感対話プログラムは、韓国住民と(北朝鮮を)脱北してきた移住民の対話を皮切りに、中国朝鮮族、カザフスタン、ウズベキスタンのコリアンである高麗人、ロシア・サハリ出身同胞、在日・在米コリアンなど、超国家的な漢民族構成員の相互理解プログラムまでに拡大しました。p.8
「日韓記憶活動家のライフストーリーワークショップ」は、韓国では10年以上前から行われてきた「共感対話」プログラムの経験を活かして、Chung Byung-Ho さんたちが中心となって企画し、日韓双方から参加者を募って日本で開催されました。ここでは、Yoshiさんのワークショップについての説明をMugikoが要約します。Yoshiさんの体験、その場の様子や雰囲気、Ryutaさんのコメントなどは、Podcastの音声をぜひお聞きください。
自分の人生の話を30分、他の参加者は批判や討論はしない
ワークショップ全体の参加者は20名ほどです。日本語と韓国語の2つのグループに分かれ、各班にFacilitators(1〜2名)、Life-Story Participants(6〜7名)、Staff(1名ずつ)がいます。一人のLife-Storyの時間枠は60分、前半の30分で、自分の人生の話をします。この時に、他の参加者は質問、批判、討論はしません。一旦話を終えると、後半はファシリテーターが進行しながら参加者が質問をします。そして、20分ほどの休憩を挟んで次のLife-Storyが始まります。これを、午前、午後、夜の3部に分けて行います。ワークショップの最終日には、参加者が全体で感想を述べあいます(上の写真)。
何を話したか覚えていないが、す〜と楽になる、受容、共感される実感
Yoshiさんは韓国語のグループに入りました。参加者は床に円座します。研究発表や授業とは違い、「自分のこと」を30分間、話し続けるのは難しい。聞いている人はうなづくなどの反応は最小限にして、ひたすら集中して傾聴します。最初は場の空気が緊張していますが、だんだんほぐれていきます。Yoshiさんは、実は、何を話したのか覚えていません。ただ、話し終わった後、す〜と気持ちが楽になったそうです。また、いろんな質問を受けて、自分が受け入れられていると実感しました。
胸が熱くなる体験、「このワークショップを朱鞠内で続けたい」
最終日に、2つのグループの全員が集まり感想を述べあいましたが、それぞれにこのワークショップは感慨深く、なかには涙がとまらず話せなくなる人もいました。Yoshiさんも思い出すと今でも胸が熱くなるそうです。Chung Byung-Hoさんも、朱鞠内でのワークショップをこれからも続けたいと考えていたのではないかとYoshiさんは感じています。
Chung Byung-Hoさんの志、共感からつながりへ、「平和をつくる」
Yoshiさんが、Chung Byung-Hoさんに最後にお会いしたのが、2024年9月、歴史資料館「笹の墓標展示館」が再建されその記念式典のことです。これからも朱鞠内とつながっていきたいとChungさんは考えておられました。共感をとおして生まれるつながりから一緒に社会を作っていく。このワークショップを含め、Chungさんの活動の全体につながる志は、「平和をつくる」ことだと思います、とYoshiさんは語っています。2月の朱鞠内でのワークショップの後、参加者間のつながりが深まり、今でも連絡を取り合っているそうです。-まとめ by Mugi
自分を開くこと、他者に出会うこと、そこから学ぶこと
「共感対話」とは、Yoshiさんのお話を聞いていると、自分を開くこと、他者に出会うこと、そこから学ぶこと、なのかなあと思います。それは、先週、お届けした*1980年代のChung Byung-Hoさんの実践ともつながるなあと改めて思いました。
*No. 717, Dec. 20, 2024, 「時間と場所をこえて記録をつなぐプロジェクト」第9話チョン・ビョンホさんのことば1988-1989
2024年HSへのたくさんの支えに感謝、一瞬の共感の積み重ねの連なり
2024年もHarukana Showを一緒に作っていただいて、支えていただき、ありがとうございます。ラジオや配信やアーカイブで番組を聞いてくれる人がいて、さまざまなかたちで参加してくれる人がいて、電波やオンラインをとおした一瞬の共感の積み重ねの連なりがHSなのかなと思います。今日のYoshiさんのトーク、そしてChung Byung-Hoさんの熱い歩みにも力をもらいました。
2025年もいつものようにHSでお会いできますように
新しい年を穏やかに迎えることができますように。2025年も、いつものようにHSでお会いできますように。これからもどうぞよろしくお願いいたします。Mugi
■きくち寛 & 鈴木慶一とムーンライダーズ「年の瀬ロック」■亀田誠治「つなぐ〜誕生」■ RYO the SKYWALKER「ここにある今を 共に歩きだそう」