マステで素敵なクリスマスツリー
今年も残すところわずか、収録は12月19日、RyutaさんはTokyoから、MugikoはKyotoからの出演です。Part1 では、子供の頃のクリスマスのことなどおしゃべりしました。放送後、素敵なツリーの写真が届きました。MakotoさんとMegumiさんの作品です。壁にマステを貼って輪郭を描き、楽しく飾りつけ。いろんな場所で応用できそう。ありがとうございます。
Part1, いよいよ年末、日本もクリスマスにサンタさん
Part2, チョン・ビョンホさんご逝去、UIUC出身、韓国・漢陽大学名誉教授
鄭炳浩(チョン・ビョンホ)さんを偲ぶ
2024年12月8日に鄭炳浩(チョン・ビョンホ, Byung-Ho Chung)さんがご逝去されました(「チョン・ビョンホ先生を偲んで」)。享年69歳。
鄭炳浩『人類学者がのぞいた北朝鮮:苦難と微小の国』青土社(2022)によると、「1955年ソウル生まれ。博士(人類学)。漢陽大学名誉教授。元韓国文化人類学会長。米国イリノイ大学で人類学の博士号を取得。専門は文化変動論、実践人類学。韓国の共同保育と共同体教育運動を導きながら、北朝鮮の子どもの飢餓救護活動、脱北青少年教育支援に関わる)。」
Chungさんは、1992年に博士を取得、2014年には、UIUCのInternational Alumni Award for Exceptional Achievementを受賞されています(”Byung-Ho Chung” News- Gazette Dec. 21, 2024) 。
David W. Plathさんとのつながり
HSでも何度かお名前を紹介しています(No.589, July 8, 2022, 「笹の墓標展示館全国巡回展」@新潟 with Yoshi-san)。David W. Plath監督『So Long Asleep』にも出演。MugikoはPlathさんの紹介で、2016年にKyotoでByung-Ho Chungさんとお会いしました。今回のHSでは、Plathさんとのつながりをとおして、1980年代のChungさんの日本滞在の記録をお伝えします。
Part3, 甲南イリノイセンター所長(1988-1989)、「人間の鏡」
日本で米国の大学生を教育するセンター所長に韓国青年を推薦
Plathさんは、1970年代に甲南大学とイリノイ大学の交換留学の仕組み作りとセンターの設立に携わりました(No. 659, No. 710)。そのPlathさんから推薦によってByung-Ho Chungさんは、1988年8月から1年間、甲南大学のKonan-Illinois Centerの所長をされました。ハンギョレ新聞への寄稿「強制動員ドキュメンタリーと『クールな』わが師」(HANKYOREH, 2021-12-09)のなかでChungさんは当時のことを次のように記しています。
国際化を唱える日本と韓国人に対する偏見
「日本文化を研究した人類学者として、米国社会の日本人に対する蔑視と偏見を正すために努力していた先生を、私は一時『親日派』と誤解してもいた。しかし、韓国の青年である私を、日本現地で米国の大学生たちを教育するセンターの所長として推薦して日本の大学教授たちを驚かせたのは、まさにプラス教授だ。私は当時まだ日本語はもちろん、英語もうまくなかった。それは、国際化を唱えていた日本社会に対して、まず韓国人に対する偏見を捨てることを促すという意味の込められた人事だった。」
他者をとおして自身を知る
韓国出身の人類学講師Byung-Ho Chungさんは、イリノイ大学をはじめ全米19ヶ所の大学から31名の学生(米国出身とは限らない)とともに1988年から89年にかけて甲南大学で過ごしました。今回の番組では、「甲南大学学園史資料室」の協力をえて、Chungさんの当時の日本語と英語での文章を紹介しています。そこには、他者と触れること、多様性を知ることをとおして、自身の思い込みや社会の価値観を再考し、自文化を改めて認識する貴重な機会となるという内容が含まれています。日本滞在時にChungさんが偏見やさまざまな壁にぶつかりながら、学生に伝えともに考えようとした志がそのことばから伝わってきます。
学生の国際交流機関紙への寄稿、「子供のように」
Part3で紹介したのは、甲南大学の交際交流委員会の学生たちが編集、発行する「ヰタ・ムンダーニー*」24号(1988年10月20日)に掲載された、「子供のように」という記事です。ここでは、留学生を受け入れる側の甲南大学の学生や関係者にむけて、ハリウッド映画などをとおして流布している「金髪青目」のアメリカ人というイメージからではなく、「アメリカの大学からの留学生」の多様性に直接ふれてみてはとよびかけています。アメリカは多民族国家であるだけでなく、イリノイ大学のような規模の大きな大学は、世界の国々から留学生が集まる国際都市になっているとも述べています。
人間と直接に出会う
「こんなに発達した電子工学の時代に、まだ原始的な人類学的方法を強調しているような気がしますけれども、他の文化や社会、特にその中で生きてきた人間を理解するためには、人間と直接に出会う以外のは方法がないんじゃないかなあと思っています。それに、違う文化からの人間との出会いのもっとも大きなメリットは、自分が今まで知らずに絶対化していた生き方が、相対化され、やっと客観的にみることが出来るかもしれないということです。」
赤ちゃんになって楽しみなら遊び、社会や文化や制度の本質を見る
「今、皆さんの前に文化的な多様性(バラエティ)に富む『アメリカの大学からの留学生達』が人間の鏡としてきています。遠慮なく自分を映してみてください。・・・若者の出会いに、その無限の好奇心に、言葉の問題はもう絶対の壁ではないんです。『外国人には英語』と云う常識もすてて下さい。言語そのものが作りやすい偉そうな顔もすてて、おたがいにもう一度赤ちゃんになって楽しみながら遊んだら、その時、ふと、今まで自分を育てたきた社会や文化や制度の本質を客観的に見ることが出来るかもしれません。皆さん、では、今から一年、一緒に楽しみましょう。」
*ラテン語でVITA・MINDANI、”WORLD LIFE”という意味、国内だけでなくグローバルな視野を身につけていこうという願いが込められている、と記されている。
Part4, 学生と北海道へ、アイヌとをおして「日本文化」と自文化を再考
北海道へのフィールドトリップ、なぜ、アイヌ?
「甲南学園史資料室」の国際交流関連の棚に、『The Ainu』というタイトルの冊子を見つけました。Kobeにある大学の留学プログラムで、なぜ、アイヌというタイトルの報告書があるのだろう。
『甲南広報』131号(昭和63年10月)で「甲南・イリノセンター1988-89年間行事予定」(pp.20-21)をみると、この年、留学生たちは9月8日に大阪国際空港に到着。翌日からオリエンテーションやホストファミリーとの対面式、外国人登録などの手続きや授業登録などをへて、9月19日(月)に授業が開始されます。その2週間後の10月1日(土)〜10月8日(土)には、「北海道フィールドトリップ」と記されています。翌年5月31日(水)’88-’89 Year in Japan(YIJ) Program 終了までに、他のフィールドトリップの予定は、12月の歌舞伎顔見世、1月の文楽鑑賞です。
協働の営みと足跡を記録に残す
日本滞在の最初に神戸から北海道へ行きアイヌについて学ぶという企画は、おそらくチョン・ビョンホ所長ならではの実践だったのではないかと思います。また、日本滞在の期間中に、学生たちとのフィールドワークを40ページあまりの報告書にまとめています。発行は、1989年(平成元年)5月20日。YIJプログラムの期間中に報告書をにまとめ、印刷、製本し、甲南イリノイセンターが発行。自分たちの活動の足跡をきちんと残し、参加者がそれぞれに次に向かうステップになるという協働のかたちは、MugikoはByung-Ho Chungさんの活動を直接には知らないけれど、その後もさまざまに展開してきたのではないかと思います。
『The Ainu』のサブタイトルが、The American Students’ Perspectiveと記されているように、活動の主体は参加学生ですが、Introductionは、Byung-Ho Chungさんが記しています。番組では3ページにわたる英語の序章を、日本語でかいつまんで紹介しました(Part4)。
The Boundaries of Japanese Culture
“Fuji-Yama, bonsai, Zen, flower-arrangement, tea-ceremony, Karate, samurai & geisha history, etc. …..”
“Business, efficiency, orderliness, groups, factories, automobiles, electronics, etc. ….”
YIJに申し込む学生たちが日本にいだく日本の文化や社会への関心は、上記の項目だったり、単一民族国家で「恥の文化」であり「タテ社会」であったりするけれど、果たしてそうなんだろうか。日本の近代化の過程で見えにくくなっている様々な境界があるのではないか。日本社会におけるアイヌから学ぶことによって、変容する社会、文化の複雑さと政治を知るだけでなく、留学生それぞれの社会について考えることができるのではないか、と序章では問いかけています。
変容する社会の現場からグローバルに捉え、自身を再考する姿勢
変容する社会においての文化と政治の関係をグローカルにとらえる視点を、留学体験から学んでほしいとChungさんの考えは、1970年代後半にPlathさんが述べている「世界人」の育成の志(「時間と場所をこえて記録をつなぐプロジェクト」第8話世界をつなぐPlathさんの夢:HS No. 710, Nov. 1, 2024)と、つながっているなあと思います。
1970年代、80年代の記録の何10年も先に、MugikoがPlathさんとChungさんと一瞬でも時間をすごせたことに感謝いたします。鄭炳浩さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。-Mugiko