各地の「現場」で活動するDonchan
Donchanは大学卒業後、出身地の豊田市足助町に戻って就職し、現在は、ドローンのオペレーターとして仕事をしています。また、自ら希望して地元の消防団員になり、地道な訓練を重ねています。さらには、「麺の会」という、足助を盛り上げる有志の集まりにも参加し、「竹あかり」の制作やお祭りには屋台を出したりしています(HS No. 747)。地元でさまざまに活躍するDonchanですが、石川県能登半島の災害ボランティアへ現在も参加しています。HSでは、今週と来週の2回にわたって能登半島地震・豪雨災害と支援活動について、Donchanに語っていただきます。

Part1は、RyutaさんとMugikoが、7月20日(日)に行われた参院選の結果についてふれています。また、Donchanのトークに入る前に、2024年能登半島地震と豪雨の概要を話しています。収録は7月23日です。Part2 では、Donchanが能登での災害ボランティアに参加した理由と現地から受けた印象について、Part3では、被災地からの支援のニーズと、Donchanが現在関わっている民間支援センター「おらっちゃ七尾」の活動について話しています。Donchanとのトークの収録は、日付が変わる7月11日と12日の深夜です。
音楽入りの番組全体は、WRFU のHarukana Show Archive: 2025-07-25-1800.mp3(55MB)から聴くことができます。
Part1, 参院選の結果は出たけれど、令和6年能登半島地震、豪雨の多重災害
令和6年能登半島地震
2024年1月1日16時10分に石川県の能登地方でマグニチュード7.6の地震が発生し、輪島市や志賀町で震度7を記録しました。石川県と隣接する富山県、新潟県、その他の地域でもさまざまな被害がありました。地震直後に津波警報が発令され、また輪島市では朝市周辺で大規模な火災が発生しました。能登半島は三方を海で囲まれ、山がちな地形であり、各地の道路が寸断され、山間部や奥能登の多くの集落が孤立しました。地震により地盤が隆起し海底が露出し、広い範囲で陸域が海側に拡大しています*。
*石川NEW WEB2025年7月9日9時27分「国土地理院能登半島地震後の地図を公開 陸地の拡大を反映」
多重・複合災害:2024年9月20日から大雨
さらに、2024年9月20日の豪雨が被災地を襲い、21日午前には石川県で線状降水帯が発生し大雨となりました。地震によって地盤が緩んでいる地域で、河川の氾濫や土砂崩れなどが多く発生しました。大雨で床下・床上浸水した仮設住宅もありました。
直接死と災害関連死
2025年7月23日22時02分NHKニュースによると、「能登半島地震のあと、遺族からの申請を受けて災害関連死かどうかを判断している専門家の審査会は23日、28回目の会合を開き、新たに11人を認定するよう答申を出しました。」「このあと市や町から正式に認定されれば、災害関連死の人数は新潟県と富山県の13人を含めて408人となり、直接死も合わせた能登半島地震の死者の数は、636人になる見通しです。」-引用とまとめMugi
Part2, 災害ボランティア参加理由、災害の状況、復興の経緯、支援活動
Part3,支援のニーズの変化、「おらっちゃ七尾」の3つの活動
Part2 &3は、Donchanにお話の内容を要約していただきました。また、今回は、Donchanが撮影した豪雨後の輪島市の写真を掲載します。

災害ボランティアに参加した3つの理由
2024年1月1日発生した能登半島地震、同年9月に発生した能登豪雨、これら2つの災害のボランティアに現在も参加しています。私が参加を決めた理由は3つあります。①大学の友人が震災当日に七尾市内で被災したため、②ボランティア活動が好きで、災害ボランティアにいつか参加したいと思っていた、③自分の目で被災地を見てみたいと思ったからです。
友人が七尾で被災、津波からの避難
特に友人が被災したことは私にとってとても衝撃的でした。あの日、安否確認のためその友人に連絡を取り状況を確認すると、七尾市にいて津波から避難するところだと報告を受けました。その時は私は。すぐに逃げること、避難時に持っていくとよいものなど、考えられることを伝えました。その友人は次の日には家族とともに金沢市内に無事に帰ることができました。

消防団員として冷静な対処ができなかった「罪悪感」
私は安堵したと同時に、もっとできたことがあったのではないか、伝えた内容に不足があったのではないかと思いました。というのも、先週お話したように、普段一消防団員として活動しているにもかかわらず、友人が被災したと聞いたとき「てんぱって」しまい冷静に対処できなかったからです。トークの中でこのことを「罪悪感」と表現しています。こんな経緯で能登半島のボランティアに参加しています。
災害の種類、場所、時期によって異なる支援のニーズ、活動内容
現地のボランティア活動の内容は震災後、豪雨後、現在とで異なります。震災直後の活動は、家の片づけ、倒壊したブロック塀の撤去、仮設住宅への引っ越しなどです。続いて豪雨後は、側溝や住居内の泥のかき出し作業です。そして現在は、公費解体前の家の片づけ・ブロック塀の解体撤去、倒れたお墓の修復など多岐にわたっています。

公的ボランティアセンターの閉鎖、民間組織団体の活動
私は現在七尾市内での活動をメインとしています。七尾市内では公的なボランティアセンターは昨年9月ごろに閉鎖されています。現在は民間ボランティアセンター「おらっちゃ七尾」がボランティアのニーズを引き受けています。
民間災害ボランティアセンター「おらっちゃ七尾」の3つの活動
「おらっちゃ七尾」は、民間ボランティアセンターとあるように、一般社団法人が運営しているボランティアセンターです。ここでのボランティア活動は大きく3つあり、家財の運び出し、片づけ等の「作業系支援」、ブロック塀の解体撤去・お墓の修復など「専門的な技術・ツールを必要とする技術系支援」、そして被災者のもとを一軒一軒訪問するローラー型訪問や茶話会などの開催する「ソフト系支援」があります。公的なボランティアと違い細かいニーズにも対応でき、ローラー型訪問によるこちらから歩み寄り、誰一人おいていかない支援ができることが画期的な取り組みだと感じています。
私は今年の3月から「おらっちゃ七尾」で活動しています。今までに家の片づけやブロック塀の解体撤去、お墓の復旧作業など様々な活動をしています。-Donchan

自分の存在をわかりやすく伝える
Donchanが、能登半島で災害ボランティアに参加する理由を、3つの側面から明確に説明できることが印象的でした。自分の存在を分かりやすく伝えることは、地元での活動においても被災地でも、とても大事なことなのだろうと思います。Donchanの明確な話し方も、さまざま現場で鍛えられているのかもしれません。
ローラー型訪問〜プロセスを大事にする支援
「おらっちゃ七尾」の活動の中で、「ローラー型」支援の形があることに驚きました。一人ひとりのお話を伺いながら、見えにくい問題に気づいたり、言葉にならないしんどさを聞いてもらうことで楽になったり、地域外の人だから話しやすい場合もあるかもしれません。寄り添いながらその人にとってのニーズを明確にしていく、プロセスを大事にあたためる支援のかたちがあるのだと思いました。-Mugi
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Donchanが、大学在学中、「祇園祭ごみゼロ大作戦」のボランティアに毎年、参加していたという話をしていました。京都在住のMugikoは、この暑さ、人が集まる街中へわざわざ行くまいと思っていたけれど、Donchanの話を聞いて、祇園祭を少しだけ見てきました。-Mugi
◼️羊文学「声」◼️松谷卓「約束」◼️ Angela Aki「この世界のあちこちに」*今週は、Donchanが最初と最後の曲を選びました。
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