No. 722, Jan. 9, 2026, 「落語」というライブ空間 with Kudo-san

「七草がゆ」の日

あっという間にお正月が過ぎ、今週のHSの収録は1月7日、そう言えば「七草がゆ」の日、RyutaさんはOsakaから、MugikoはKyotoから参加しました。2026年は波乱の年明けとなりました(Part1)。こんな時だからこそ、人と人が触れ合う落語の庶民の感性が大切なのかもしれません。Part2&3ではKudoのRAKUGOトークの後半をお届けします(前半はNo. 771へ)。

Part1, 島根・鳥取地震、浜岡原発、米軍のベネズエラ攻撃、ICE発砲事件…

鳥取・島根、そして各地の地震、浜岡原発の審査「データの捏造」

今週は、日本では1月6日に島根・鳥取で最大震度5強を観測した地震があり、関西も体に揺れを感じました。1月9日は秋田や千葉で震度4の地震(気象庁地震情報)、地震が頻繁に発生するこの地で、「中部電力、浜岡原発の審査で地震動を過小評価していた」というニュースは信じがたいものでした。

米軍、ベネズエラへ軍事侵攻、ICE職員が女性射殺、U-Cでは抗議集会

1月3日の米軍によるベネズエラの軍事攻撃とマドゥロ大統領夫妻の拘束、1月7日ミネソタ州ミネアポリスでのICE職員の発砲による女性死亡についてなど、日本でも大きく報道されています。U-Cではすぐに抗議・追悼集会が行われました。Adam Edwards, ”Community members hold vigil for Minneapolis women ICE agent fatally shot.” The Daily Illini, Jan. 8, 2026.

Part2, 落語のライブ空間、上手と下手、目線の距離感、心地良く居眠り

Part3, 芸の継承、演者の工夫、時代の感性、芸は人なり、人生との交差点

Mugikoの落語の観客初体験ー偶然にも寄席チラシ

ふっと立ち寄った近所のホホホ座(浄土寺店)で小さなチラシを見つけました。「大文字寄席第2弾 柳亭信楽京都落語会、2025 12.12 (fri) かもがわカフェにて」。「えっ、今日やん」、開演数時間前。運よく席がありました。

Mugikoの初めての落語体験、Kyotoのかもがわカフェにて

「かもがわカフェ」はMugikoが昔、むかし、通っていた高校界隈、ちょっと懐かしいような落ち着いたカフェの奥にこじんまりしたライブ会場がありました。ポツンと赤い台座に紫の座布団が1つ、周囲に椅子が20あまり、そのなんと演者の真ん前の席が一つ空いていました。いきなりこの席で初めての落語体験、戸惑う私に隣の席の方が親切にいろいろと説明をしてくださいました。落語を「敷居が高い伝統芸能」と思い込んでいましたが、この場所と集まる人たちのゆったりとした空気のおかげで、Mugikoは(ワインを飲みながら)この空間にす〜と入り込んでゆきました。

ミニマムで奥深い、演者と観客の波動がループするライブ感

Mugikoにとって印象深かったのは、演者と観客のエネルギーの波がループしていく感じです。演者のパフォーマンスを見守りながら、お客さんもそれぞれの笑いで場をいろどる。緊張感と一体感と、でも束縛されない居心地のよさがありました。Mugikoが何よりも驚いたのは、落語のミニマムで奥深い「芸」です。演者が一人で座ったまま、顔の表情と首の動きと手の仕草と、そして声で何役もを演じ分ける。物語の登場人物がリアルに浮かび上がり息づいていきます。落語家はどうやって色々な役を演じ分けているのだろう。以下ではKudoさんのお話の内容をMugikoがまとめます。

芸が心地良くて居眠りしてもOK

Kudoさんのトークのなかでまず意外だったのが、「寝ててもいい」という言葉でした。落語会でKudoさんも居眠りしてしまうことがあるそうです。それは決して演者に対して失礼な行為ではなく、その芸が心地良く、聞き手がリラックスしている証と受け取られるそうです。

「古典落語」も「新作落語」も言語的な壁はなく

落語には、世代を超えて受け継がれている「古典落語」と、その時代に新たに作り出される「新作落語」があります。しかしどちらも、現代の観客に伝わるように演者が言葉を選んでいるので、古典でも新作でも言語的な壁はほとんどありません。

「上手」と「下手」によって登場人物の立場と関係を使い分け

落語の演じ方にも基本的なルールはあります。「上手(かみて)」(観客から見て舞台の右)と「下手(しもて)」(同じく左)の使い分けです。上手は、一般的には年上、先輩、男性など、年下や後輩や女性などで、演者が「上手」の人物が話すときには「下手」の方向に顔を向け、「下手」の人物が話すときにはその逆になります。

「目線」によって人物同士の距離感や、人とモノとの位置関係を示す

落語を観てMugikoが気になったのは演者の「目線」です。Kudoさんによると、登場人物同士の距離感や、人とモノとの位置関係を目線の方向や角度で表します。例えば、登場人物が客人を家に招きれるときに「こっちにお入り」という仕草一つでも、目線が近すぎたり遠すぎたりすると、師匠に「その目線が違う」と厳しく指摘されるそうです。

サンタも登場する新作落語、そこでのルールとは?

上手や下手、目線によって、複数の役とその関係、位置と場面を表現することができるというKudoさんの話を聞きながら、Mugikoは色々な場面を想像してみました。「年末の女子会」という新作落語があったとして女子同士の関係はどう演じ分けるのだろう。例えば、縁側の「猫」や、「蛇」や「妖怪」など人間以外のものが登場するときは?新作落語で本物の(?)サンタと人間のサンタ役とがかち合わせる場面では、どちらが上手と下手になるのだろう。

伝統の継承と「自分なりのの工夫」

Mugikoの疑問に対するKudoさんの応答をまとめると、落語の技術や物語は、師匠から弟子へと口伝え(口伝:くでん)で受け継がれていきますが、しかし、単に師匠の芸を模倣するだけではなく、「自分なりの工夫」が最も重要。必ずしも伝統にとらわれない、その時代での落語家のそれぞれの創意工夫が生かされることが、落語を支える原動力となっています。

「芸は人なり」、歳を重ねて変化する、Kudoさんの授業の芸風も

Kudoさんは30年以上、落語に親しんできました。その歳月の中で演者の人柄や経験、年齢によって一人の落語さんの芸も変化していきます。「芸は人なり」。そして大学教員としてKudoさんの「芸風」も、年齢を重ねて変わってきたそうです。40歳代のころの授業では、面白おかしく「受け」も狙い時には情報を詰め込みすぎる話し方になっていたけれど、最近はもう少し「間」を大切にし学生に「寄り添う」アプローチになってきたそうです。

Kudoさんの「落語家論」の方法論

Ryutaさんも大学教員で、現在は「メディア」関連のゼミを担当しています。なかには自分も大道芸をしていて、女性の大道芸人について卒論研究に取り組みたいとと考えている学生もいます。でも、ジェンダーや身体性や人生と「芸」のつながりを研究としてどう取り組んだらいいのだろう。Ryutaさんの話を聞いてMugikoは、Kudoさんの著作『野暮は承知の落語家論――人生と芸の交差を読む』(青弓社)は、研究方法としても参考になるかもと思いました

寄席にライブ空間を共有して、芸と人生の交差を読む

Kudoさんは、この本を執筆するにあたって落語家へのインタビューはしていません。長年、落語を楽しんできたKudoさんの体験と落語家が書いた文章や関連する資料をもとに、演者の人生と芸の交差をKudoさんが解釈しています。演者にも自分にもほどよく距離を置いているので、この本は読みやすく、でも生き生きしています。それは、落語家とKudoさんの間に、演者と観客が創るようなライブ空間があってそこに落語家の芸と人生とKudoさんの歳月も添えて文章を仕立てているからだとMugikoは思います。

桂三耀さんのパフォーマンスー落語のグローバルな展開

Ryutaさんはまた、カナダ出身の桂三耀(サンシャイン、師匠は6代桂文枝)さんがUIUCで落語を演じたことがあったそうです*。RAKUGOが多様な文化とどのように接合しグローバルな観客を取り込み展開していくことが可能なのか、今後の大きなテーマですね。Kudoさんからまたお話を伺うのが楽しみです。

2回にわたる新年のRAKUGOトークを聴いた感想もいただきました。ありがとうございます。来週のHSで紹介します。

*”Katsura Sunshine: Traditional Japanese Rakugo Storyteller.” Friday, September 20, 2013, ight Auditorium, Spurlock Museum.

◼️Ry Cooder「Ditty Wah Ditty」「粋な演奏」で思いついたのが、ライクーダーのこの演奏でした。◼️六角精児「偽weight」六角さんの歌とサウンドも落語と相性が良いように感じました。*最初の2曲はリクオの選曲、コメントです。◼️リクオ「オマージュ-ブルーハーツが聴こえる

カテゴリー: Harukana Show-Podcast パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です