Champaign-Urbanaは長い冬
先週末、Champaingは雪が積もりました。Tomさんが雪のシャンペーンの写真を送ってくれました。家の周囲の雪かきだけでも、たいへんそう。今週もWRFUのスタジオはTomさん、St. LouisからRyutaさん、KyotoからMugikoです。ゲストトークは、先週に続き(Podcast No.205)、京都国際マンガミュージアム研究員ITOYUさんのトーク後半です。
Podcastは3部構成
HS Podcast No.206-1, March6, 2015:Alexさんのおすすめ曲、U-Cイベント情報
HS Podcast No.206-2, March6, 2015:ITOYU-sanトーク後半(1)柳田民俗学から今和次郎の考現学へ、そして路上観察学会への展開
HS Podcast No.206-3, March6, 2015:ITOYU-sanトーク後半(2)街角の「飛び出し坊や」コレクションから日本のマンガのお話へ&コメント
ゲストトーク(後半) ITOYU=伊藤遊
ITOYUさんにとっての柳田民俗学、今和次郎の考現学の魅力とは?考現学が1980年代以降の日本でどんなふうに展開してきたのか、そんなお話から始ります。
民俗学の新しさ(その1):誰も見向きもしなかった「日常生活」への注目
前編の最後に、マンガを含めた日常生活の断片を集めることに意味があるのかないのか、そういうことを考えること自体に意味がある、と書きました。後半となる今回は、そのことを、「民俗学」と「考現学」という2つの日常生活研究の方法論を紹介することで、考えてみたいと思います。
民俗学(当初は「郷土生活の研究」と言っていました。)を提唱したのは、柳田國男(やなぎた・くにお1875~1962)という人ですが、彼の発想の新しさのひとつは、名もなき人々が、意識することもなく繰り返している日常生活の断片に注目したことでした。
わたしたちが、日々、何を食べ、どんな家に住んで、どんなことばを話しているのか、何を信じ、畏れ、何に笑っているのか……。柳田は、全国津々浦々を旅し、当たり前すぎて、誰も気にしていなかった日常生活のこうした断片を丁寧に収集し、記録していきました。それらを集積することで、「為政者の事件史」でしかなかったそれまでの「国史」とは異なる日本の歴史と社会を浮かび上がらせることができる、柳田はそう考えたのです。
民俗学の新しさ(その2):誰もが「民俗学者」になるべき!という発想
しかしながら、ぼく自身が民俗学という方法=思想を面白いと思うのは、柳田が、日常生活のそうした意識化と記録を、その生活を営んでいる人々自身が行うべきだ!と主張していたことです。彼は、「ムラの志ある青年」たちが自らの日常生活を「自省」することで、よりよい人生を作り出すきっかけになると考えたのでした。実際、柳田のそうした呼びかけに応じて、全国に、たくさんの「民俗学者」が生まれました。
もっとも、柳田自身にとって大切だったのは、「自省」する人々自身よりも、彼らが「自省」することによって記録した情報でした。柳田自身が収集した情報と、全国から集まってくる情報を元に、「日本」という“大きな物語”を描くことに成功した柳田民俗学は、「学問」としてのステイタスを得ることに成功します。大学の講座のひとつにもなった民俗学はしかし、いまや専門化し、かつてそうだったように、日常生活を営んでいる人々、つまり、「すべての人が民俗学者になることができる」という初志を失っていったのでした。
考現学とその“末裔”(その1):「調査を楽しむ」人々の(再)登場
ここで登場するのが、今和次郎(こん・わじろう1888~1973)という人です。今は、柳田の調査旅行に同行し、主に田舎の民家についての観察・記録をしていた「弟子」のひとりでしたが、関東大震災(1923)をきっかけに、当時明確な姿をとりはじめていた「都会」における日常生活の断片を記録し始めます。そして、この“都会の民俗学”とも言える日常生活研究を「考現学(こうげんがく)」と名付けました。
考現学は1920~30年代に一世を風靡しますが、膨大に観察・記録された日常生活の断片を、(民俗学における柳田のように)理論化する者がいなかったため、アカデミズムからは「単なるオモシロジャーナリズム」とみなされ、(民俗学のように)「学問」になることはありませんでした。そして、世間からほとんど忘れ去られてしまいます。
ところが、この考現学という方法が、1980年代になって、全国で同時多発的に再発見され、実践されるのです。代表的な考現学グループとしては、赤瀬川原平(あかせがわ・げんぺい1937-2014)らによる「路上観察学会」(1986~)が挙げられます。彼らは、街に繰り出し、ぼくらが見逃していた何でもないような日常を、独特の風景として切り取り、提示しました。
80年代の考現学ブームが重要なのは、その実践が、専門的な学問調査としてではなく、日常生活を楽しむための一種の「遊び」として自覚されていたことです。そして、「路上観察学会」ほかが提示する「調査結果」をみるだけで満足せず、「自分も、同じようなことを、自分の街でやってみよう!」と考える人々をたくさん産んだことです。つまり、かつて柳田國男が提唱した「自省」の精神を、考現学は、軽やかに復活させてしまったのでした。
考現学とその“末裔”(その2):「自己表現」としての日常生活研究、そして……
「路上観察学会」がさらに面白いのは、彼らの関心が、日常生活を切り取る調査者自身の独特の視点を発見することから、その視点をいかにアウトプットするか、という「表現」のあり方に向かったことです。今和次郎の考現学の面白さも、その視点以上に、イラストや独特の図表による調査報告の「表現」にあった、と言っても過言ではありません。
もっとも、一見きわめて個人的な、あるいは自己表現的な営みであるところの考現学的実践も、その現場を観察していると、そこには、単純な個人の楽しみに終わらない何かを発見することもできそうです。路上観察学会がそうであるように、考現学の実践はしばしば、グループ調査として行われます。同じ街を複数の視点を持った人たちが一緒に歩いたり、「調査報告会」が行われたりする。その中で、他人の視点を知り、批評されることで、自己の視点や表現の仕方が少しずつ変容していく場面を、ぼく自身がときどき観察してきました。そこには、「自己表現」といったときのような強烈な「わたし(個人)」でも、柳田が描いた「日本」のような強固で巨大な「わたしたち(共同体)」でもない、ゆるやかな生活共同体を見出せるかもしれません。
それがなんであるか、その探求が今後のぼくの課題のひとつなんだな、ということを、今回のMugikoさんとの対話の中で、改めて気づかされたのでした。by ITOYU
ITOYUさんが今、追いかけているもの、「飛び出し坊や」
以上、ITOYUさんからHarukana ShowのPodcastに掲載するための丁寧な説明文もいただきました。ありがとうございます。ラジオのトークでは、考現学についての説明のあとITOYUさんが長年注目している全国各地の「飛び出し坊や」について話が続きます。
「飛び出し坊や」とは、子供の飛び出しによる事故を防止するために、車などを運転する人に注意を促す看板です。商品としても販売されていますが、小学校のPTAの集まりで保護者の方々が、手作りすることもあります。
写真をたくさん集めていると、土地柄が見えてきたりします。なかにはマンガのキャラクターを模したものもあります。トークでは、「飛び出し坊や」の話から、無数のパーツを真似して組み合わせ全体をつくってゆく、それが日本のマンガの特色ではないか、とマンガ論も展開します。ぜひPodcastの音源からも話の続きお楽しみください。
デジタルな時代に「集める」ことの可能性
Ryutaさんが、「デジタルの時代になって、情報を集積してから分析する可能性がひろがり、集めるという行為が再評価され、異なる専門分野で取り入れられているのではないか」というコメントがありました。
考現学〜多様な他者と私とのゆるやかな関係
考現学は、一般の人々が日常を観察し生活の構成物を集めるという行為を他者とシェアすることで、自身の視点を再認識したくさんの気づきを重ねてゆく行為でもあるようです。そこでの他者たちとのゆるやかな関係をつくりだすものが何なのか、ITOYUさんの観察は、マンガミュージアムにおいても続きます。そんなお話は、いつかまたのトークでぜひお願いします。Mugi
U-Cイベント情報
◎ひな祭り@Japan House:2015年3月8日(日)We are celebrating Girl’s Day with special tea ceremonies on Sunday,March 8 (tea ceremonies at noon and 1:00 are free for girls 10 andunder with an adult) and a Girl’s Day craft session at 2:30 ($6 per child)! by Japan House Facebook
◎Asia LENS: Documentary and Independent Film Series@Spurlock Museum:2015年3月10日(火)7:00 pm〜「Buddhism after the Tsunami – The Souls of Zen 3/11」 film by Tim Graf and Jakob Montrasio. 2012. 63 minutes. In Japanese and English, with English subtitles.:Introduction and post screening discussion lead by Brian Ruppert (Associate Professor, Religion and East Asian Language and Culture).
■Alexさんのおすすめ曲
最近「League of Legends(リーグ・オブ・レジェンズ)」というゲームにはまっているAlexです。最初はこのゲームを好きではなかったのですが、実際やってみたらそんなに難しくなく結局はまっちゃいました。ゲームをあんまりやらない僕にはちょっと予想しなかった展開です(笑)。さて、ゲームの話しはおいといって、今週の曲たちのテーマは「オリジナルサウンドトラック」です。多分僕の記憶の中には前もこのテーマで曲たちを紹介した記憶がありますが、今回はまた違うOSTを紹介します。一つ目はゲーム「Plague Inc.(プレイグ・インク)」で出る「Plague Blossom(プレイグ・ブロソム)」で、二つ目は映画「28日後…」で出る「In The House – In a Heartbeat」です。この曲たちの共通点は曲の雰囲気が重くて緊張感があることです。特に「In The House – In a Heartbeat」は最初静かに始まるですがどんどん緊張感が上がって音量も上がるのが特徴です。
- John Murphy「 In the House – In a Heartbeat」■Marius Masalar「Plague Blossom」(時間の都合上、この曲をお届けできませんでした) ■苫米地サトロ「青空」■電気グルーヴ×スチャダラパー「マシーン少女タムタム~おわりの唄」