Kyotoは洗濯日和、ChampaignはNice、St. Louisは少し蒸し暑い
Kyotoは、連日、最高気温が30℃前後、梅雨に入る前のからっとしたひと時、洗濯物がよく乾きます。番組前にTomさんに、「Champaignのお天気は?」と尋ねると、「Nice」といつものように短い返事です。St. LousのRyutaさんは、「雨がさっと降り、少々蒸し暑い」、とのこと。
Tokyoど真ん中からTamakiさん
そして今日は、Tokyoの新宿からTamakiさんが1時間まるまる(携帯で?)Harukana Showに参加しました。5年ぶりの帰国、清潔、便利、美味しい日本、カフェも充実、スウィーツの盛りつけは宝石をちりばめたように美しい。しかし、消費税が8%に値上がりしたことにTamakiさんは戸惑いを隠せません。Tokyoも、以前と比べて外国からの観光客が増えたようです。イリノイに戻られたら、またゆっくり、旅のお話を伺いましょう。
Podcastは2部構成
HS Podcast No.218-1, May29, 2015:新宿からTamaki-san、UCイベント情報by Ryuta-san
HS Podcast No.218-2, May29, 2015:日本の輸出陶磁器ー海の向こうのアメリカ(後半)with Michisyo-san
U-Cイベント情報
◎Tea ceremony@Japan House: 6月4日&11日&25日(木) 3pm-、6月20日(土) 2pm-&3pm-
◎Allerton Irish Fest:6月5日(金)5:30pm-9:30pm
◎Outside at the Research Park :6月12日(金) 6:30pm- U of I Research Park
◎When Marnie Was There(米林宏昌監督『思い出のマーニー』スタジオジブリ制作、214年)@Art Theatre:6月20日(土)
映画は、Harvest Moonは今週から週7日の営業になったようです。(小中高校も来週ぐらいから夏休みのところが多いはずです。)by Ryuta
日本の輸出陶磁器(後半)—海の向こうのクリスマスへ
Michiyo-sanの祖父は、1920年代から50年代にかけて、名古屋で輸出陶磁器の工場を営んでいました。お得意先はアメリカ、名古屋港から大量の商品が輸出されました。1941年生まれのMichiyoさんは子供の頃から祖父の話を聞き、母の手元に残った商品やヨーロッパ製品(見本)を見てきました。先週に続いて(Podcast No.217)、Michiyoさんの子供時代の陶磁器の思い出を伺いました。
輸出陶磁器、80年後に日本に戻り再会
Michiyoさんのお母さんの手元には、見本となったドイツやフランス、イギリスの陶磁器や商品の一部が残っていました。その一つが、フェンスに座る女の子が描かれた壁にかける花器でした(写真左)。お母さんの話では、イギリス産を見本にして作られたものだそうです。これと形と色使いが同じ、男の子柄バージョン(写真右)を、Mugikoがアメリカの小さな町のアンティークショップで見つけ、日本に持ち帰ったことが、今回、MichiyoさんにHraukana Showでお話をしていただくきっかけになりました。
Michiyoさんの祖父の工場で生産された陶器のなかには、アメリカの庶民が入手できる安価な商品が多くありました。日本国内では、基本的には販売されませんでした。ただ、不良品を買い集める「ペケ屋さん」が日本で売ることはありました。Michiyoさんが縁日で、子供のおもちゃ用の小さなティーセットを見つけ、どうしても欲しいとねだり、一緒にいたおじさんに「そんなもの、うちにくさるほどあるのに」と困らせたことがあったそうです。
名古屋からの輸出陶器は、北米や南米向けが中心でしたが、昭和30年代以降は全体的には衰退し、自動車や電気製品にかわってゆきました。Michiyoさんは、祖父の会社の商品が、アメリカでどのように売られ、どのような人々が購入し、生活のなかでどんなふうに使われていたのかを知りませんでした。Michiyoさんにとっては、過ぎ去った日々の記憶のなかにある輸出用陶器が、「Made in Japan」として今でもアメリカの田舎のアンティークショップにたくさん置かれているとは、不思議なことに思えます。
美術品や「上等な」陶磁器も
Michiyoさんのお話を伺ってからMugikoは、近所のアンティークショップに寄ってみました。今までヨーロッパ産だと思っていた「上等な」ティーカップなどのなかにも、大正、昭和初期の日本でつくられたものがたくさんありました(東洋陶器やNoritakeなど)。お店の方のお話では、同じ会社の陶磁器でも、アメリカ輸出向けは、色やデザインが「派手」に作られています。下の写真は、Michiyoさんに見せてもらった、生々しく美しい人形です。Made in Austliaですが、名古屋の工場ではこれを見本にした陶磁器が作られていたようです。アメリカにも、写真とそっくりなMade in Japanが残っているかもしれません。
私がイリノイの地方で見てきた安価な日本産の陶磁器は、こうしたブランド品ではなく、その年のクリスマスに間に合うように、今、売れるデザインをできるだけ速く大量に生産、出荷したものです。ChampaignのAntique Shopには、ディズニー映画「Snow White and the Seven Dwarfs」(1937)の白雪姫の小さな人形もありました。映画が公開された当時のものだとお店の人は話していました。これもMade in Japan。絵付けした日本人は、グリム童話の『白雪姫』を知っていたのだろうか。そんなふうに考え始めると、日本から船でアメリカに渡り庶民の日常生活のなかに入っていった大量のMade in Japanの、その1つ1つに、さまざまな物語があるのだろうなあ、と思えてきます。Mugi
■BEGIN「おつかれさん」■プリシラ・アーン「Fine On The Outside」( When Marnie Was There、思い出のマーニー』主題歌)、■SITER KAYA「空をこえて 海をこえて」