多文化接触のメディア空間
―米国のコミュニティラジオ局から、つたえて、つなぐ
日本時間 2022年8月10日(水)20:00〜
20:00から始まり、京町家の再生をプロデュースした栗原佳美さんが、「楽平家」のスポットを紹介するされます(「町家の秘密」)。続いて20:10頃から、MugikoがHarukana Showの活動プロセスを紹介します。アメリカのコミュニティラジオ局WRFUからの日本語番組が2011年に、どのような仕組みと出会いをとおして始まり、今日まで続き、声や記憶を記録しつないできたのかをお話しします。その後で、番組ホストのRyutaさんにも参加していただいて、オンラインサロンの参加者からの質問や感想を受けながら、いつものHarukana Showのようにトークをする予定です。
誰でもメディアになれる?
Harukana Showは今秋、600回を迎えますが、「ふりかえり」や「反省会」というものをしてこなかったことに、今さら気づきました。この機会に、いろいろな方からのコメントをいただけたらうれしいです。テーマは、「誰でもメディアになれる?」
楽平家オンラインサロンの案内文にこう記しました(一部抜粋)。
私は、2010年9月より勤務大学より1年間の在外研究の機会をえて、研究員としてイリノイ大学に所属しました。住まいの近くにUrbana-Champaign Independent Media Center (UCIMC) があり、WRFUをはじめ多様なアート・メディア活動が行われていました。見学したときに声をかけられました。「誰でもラジオ番組を担当できます、日本語でもいいですよ」と。私は、「英語圏で日本語番組を誰がきくのか」と思うと同時に、UCIMCがうたう“Become the Media”ということばに興味をもちました。 誰でもメディアになれるのだろうか….
ちょうど11年前、旧Harukana Showのwebisiteに、「 “become the media”〜誰でもメディアになれる?」(Mugi-chan Blog 2011年8月17日)と問いかけていました。
未知の扉を開く呪文
“Become the Media”(メディアとなる)は、私には、未知の扉を開く呪文のようなものでした。2010年10月の初めに、 UC-IMC(Urbana -Champaign Independent Media Center) に加入手続きを しました。10月15日、IMCから歓迎のメールが届きました。そこに、IMC について、こんなふうに説明が記されていました。
We would like to take this opportunity to tell you a little bit about the IMC. We are part of a global network of collectively-run media outlets for the creation of radical, accurate, and passionate truth-telling. We are a grassroots organization committed to using media to promote social and economic justice in the Urbana-Champaign area and beyond. At our core, we aim to empower people to become the media by providing democratic access to available technologies and information.
なんだか堅苦しい言葉のなかで、とくに意味が呑み込めなかったのが、赤で記した箇所です。「民 主的に技術や情報にアクセスし利用できることによって、 誰でもがメディアとなる ことがIMCの 目的です」…ビカム・ザ・メディア?メディア、とはいったいどんなことなんだろう。情報を得る だけでなく、表現し、主張し、発信していく手段を獲得していく、という意味だろうか?
その半年前に私は、『フィールドワーク探求術~気づきのプロセス、伝えるチカラ 』(ミネルヴァ 書房、2010年)を出版しました。本のなかで、「フィールドワークの面白さは、現場から情報をえ るだけでなく、そこから学んだことを、フィールドワーカー自身が発信しながら、人と人、人と情 報をつないでいく過程にあると私は思います」(p.iv)と記しました。
日本やバングラデシュ農村、ロンドンでのフィールドワークをとおして、何かと関わり、学ぶだけ でなく、それを誰かに伝えようとするときの難しさをいつも感じてきました。だからこそ、“メディ アになる”という言葉にひかれながらも、それを多くの人が求めているのだろうか?と疑問をもちま した。傍観者じゃなくて、主体になれ、とプレッシャーをかけられているような気がしてきました。いずれにせよ、この言葉の意味は、自分がメディアとなって、はじめて分かるののかもしれません。(一部抜粋)
自分が発した問いを、11年後にオンラインサロンで参加者と一緒に考えることができるとは、どんな場になるのか、楽しみです。よろしくお願いします。-Mugiko