No.631, April 28, 2023, Nikkeijin Illinois @Spurlock Museum -アメリカにおける日系人の歴史

日本はゴールデンウィーク

日本はゴールデンウィーク。Kyotoでは、さまざまな花が咲き乱れ、新緑がどんどん伸び、観光客からさまざまな言語が飛びかい、時間と世界が急に走り出したようです。U-Cでは、4月27日-29日は、2023 Race Weekendでした!

今週は、Part1では、イリノイ大学のJapan HouseのMatsuriの話題、Part2, 3, 4では、Spurlock Museumで開催されているNikkeijin Illinoisについて、アメリカにおける日系人の歴史を、展示されている解説(exhibit text)のTimelineに沿って、Ryutaさんが日本語でわかりやすく解説しています。

Part1, Japan HouseのMatsuri!

5月6日(土)には、Japan HouseのMatsuriが賑やかに開催されます。詳細はこちら

Japan House Matsuri, May 6, 2023

Part 2, Nikkeijin Illinois, Timeline 1(1867-1931)、2(1931-1946)

Part3, Nikkeijin Illinois, Timeline 3(1946-2000)、4(2000-Present)

Part3, Nikkeijin Illinois, Issei, Nisei, Sansei, Yonsei, Gosei コメント

日系人強制収容ー学校教育の中ではふれられなかった歴史

Nikkeijin Illinoisは、イリノイ大学のSpurlock Museumで2月19日から(12月10日まで)開催されています。Spurlock Museum DirectorのElizabeth Suttonさんは、自分が育った西海岸で第2次世界大戦中、日系人の強制移住・収容が行われていたことを、大学を卒業する頃まで知りませんでした。アメリカにおける日系人の歴史については、Elizabethさんが受けた学校教育の中では扱われたことはなく、また日系人の知り合いも、Elizabethさんにそうした過去を話すことはありませんでした。

Elizabethさんは、イリノイ大学に勤務するようになってから、Krannert Center for the Performing ArtsのキュレイターのJason Finklemanさんが日系4世であることを知りました。そこで2人はイリノイ州の日系人に関する展示について話し合い、準備期間を経て、Jasonさんが中心となって企画、リサーチし、Nikkeijin Illinoisの展示が実現しました。(Spurlock Museum 2022-2023

Asian American Historyについては、日本においても、知る機会は多くはありません。今日のHarukana Showでは、Nikkeijin Illinoisに掲載されている解説(exhibit text)のTimeline 1-4に沿って、Ryutaさんに日本語で説明していただきました。

1. 初期の日系移民〜日系移民の排斥(Timeline1:1867-1931)

日本からアメリカへの集団での移民は、1868年、ハワイへの移民が最初だったといわれます。(この人たちは明治元年に入植したので、「ガンネンモノ(元年者)」と呼ばれることもあります。)当時、アメリカ本土へは、中国系労働者の移民がすでに盛んになっており、その多くはゴールドラッシュに沸くカリフォルニアの鉱山や、大陸横断鉄道の敷設に携わって働いていました。日系移民は、初期から排斥法などによる中断に至るまで、大規模農園で働く農業従事者が大半でした。(その他、カナダや米国ワシントン州では林業や漁業に従事していた記録が残っています。)

このころのアメリカ本土ではアジア系移民に対する反感、危機感が高まっており、まず、1870年には帰化法が改正されて、アジア系外国人(米国外で生まれたアジア人)がアメリカに帰化して市民権を得ることができなくなります。その後、1882年にはChinese Exclusion Act(中国人排斥法)が施行され、中国からアメリカへの移民が禁止されます。これにともない、今度は日系移民のアメリカ本土への移民が増加しますが、それによって日系移民に対する反感も高まり、1908年には日米間の「紳士協定」により、日本国籍を有する成人男性のアメリカへの移民が停止されることになります。(すでにアメリカに入っている人の配偶者や子どもなど、家族は渡航することができました。)

移民が停止されたあともアジア系住民への圧力は続き、1910年代から20年代にかけて、土地(特に農地)の所有に制限が課せられていくことになります。アメリカは市民権の獲得について出生地主義を採用しているので、アメリカ生まれのニセイ(二世)は米国籍を有するアメリカ国民のはずですが、これらの制限は、次第にニセイ住民をも対象にするようになっていきます。また、最終的には、1924年の移民法の改正により、日本を含むアジア諸国からの、あらゆる移民が禁止されます。

2. 第2次世界大戦と日米開戦 (Timeline 2: 1931-1946)

1931年には満州事変が勃発し、日本と、いわゆる欧米列強との間の緊張が高まります。その後、1939年にドイツがポーランドに侵攻し、第2次世界大戦が開戦します。日本は1941年12月にハワイの真珠湾(パールハーバー)に奇襲攻撃を行い、これにより、日本とアメリカは正式に戦争状態に突入します。この直後、アメリカに住む日本国籍を持つ住民5500人あまりがFBIにより逮捕されたといわれています。多くは、各コミュニティの指導的立場にあった男性住民でした。

その後、1942年2月に、ルーズベルト大統領が大統領令9066号に署名します。この大統領令は、「軍事地帯」に指定された地域から、アメリカ国籍を有する者を含む特定の住民を強制移住させることを可能にするものでした。実際にはアメリカ本土の西海岸がこの「軍事地帯」に指定され、そこに住む日本人、日系人が強制移住の対象となります。(西海岸が特に対象となったのは、アメリカが日本による本土攻撃を恐れたからとされています。)

1942年3月には、早くも強制移住が始まり、当初、日本人、日系人は、競馬場などに設置された仮施設に移動させられます。同年10月ごろから、主に内陸部に建設された収容所への移送が開始されました。収容所の多くは荒地の中に作られ、建物は戦場の兵舎のような、急造のバラックでした。最終的には、およそ125,000人がこれらの収容所に収容されました*。

イリノイ州を含む中西部や東海岸は「軍事地帯」に指定されなかったので、この時期、家族や親戚を頼って、収容所から出てこれらの地域に移住した家族もいたようです。また、大学に在学中だった学生のみ、受け入れ大学があるのであれば、これらの地域の学校への転入学が認められました。イリノイ大学や、Ryutaが以前勤務していたワシントン大学セントルイスは、このとき、西海岸から日系人学生を受け入れています。

*「米 太平洋戦争中の日系人強制収容12万5000人余の名簿完成」 NHK Web News, 2022年9月25日12時35分

3. 第2次世界大戦終結〜その後 (Timeline 3: 1946-2000)

第2次世界大戦は1945年に終結します。その後、1946年に、すべての強制収容所は閉鎖されました。収容されていた住民は、1人あたり25ドルと、帰還するための片道切符(鉄道の切符)だけを支給され、収容所から退去することになります。多くは、かつて住んでいた西海岸を目指しましたが、中西部の大都市だったシカゴや、当時は鉄道のハブ駅だったセントルイスなどにとどまった個人や家族もいました。

1952年には移民法が改正され、アジア諸国からの移民が再開されるとともに、日本国籍のみを持つイッセイ(一世)住民もアメリカ国籍を取得できるようになりました。

その後、アメリカで社会運動の機運が高まると、1970年代には、強制収容に対する連邦政府からの謝罪と補償を求める動きが日系アメリカ人コミュニティの中で始まります。1981年には、戦時中の強制移住、強制収容の妥当性を調査する委員会が発足、1988年のCivil Liberties Actにより、強制収容経験者への2万ドルの補償と、教育基金の設置などが決議されました。これによる補償と、大統領(当時のG.H.Wブッシュ大統領)による公式な謝罪文の送達は、1990年に始まりました。

4. 2000年代以降 (Timeline 4: 2000-present)

日本人、日系アメリカ人強制収容は、2010年代後半、2020年代になって、再び、思わぬかたちで脚光を浴びることになりました。2017年には、当時のトランプ大統領が、イスラム教国7カ国からの入国を一時的に禁止する大統領令を公布します。この大統領令については、合法的にアメリカ国内に居住している外国人や、それらの国にルーツを持つアメリカ国籍を持つ住民が、自分の持つ家に帰る権利、自分の家族と共に住む権利すらも奪うものとして、第2次世界大戦時の日本人、日系アメリカ人強制収容を彷彿とさせるとして、アメリカ国内からも非難の声が上がりました。

また、2020年に始まったCovid-19パンデミックの中では、ウイルスの起源が中国にあるとされたこともあり、アジア人に対する、暴行、殺害事件を含む憎悪犯罪が増加しました。同時期、アメリカ国内では、初等、中等教育の現場で多様な人種の歴史を正確に含む「アメリカ史」を教えることに対する、保守、リベラル層の間の分断も明らかになりました。(この議論の中心はアフリカ系アメリカ人の歴史の扱いに関するものですが、排斥、強制収容を含むアジア系アメリカ人史も無関係ではありません。)そのような社会情勢の中で、イリノイ大学に関係のある日系アメリカ人の経験をあらためて語る今回の展示には、さまざまな意義があると思います。 – Ryuta

Nikkeijin Illinoisでは、どのような人物について展示されているのかについては、来週また話題にします。

■Linda Lindas「Growing up」■Linkin Park & Steve Aoki「A LIGHT THAT NEVER COMES」■Fort Minor (Mike Shinoda)「Kenji

Champaign County COVID-19 Cases, Updated on April 25, 2023, 7.48 AM, CUPHD

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