No.635, May 26, 2023, 占領期日本のCIE図書館とCIEラジオ課 with Ryuta & Aki

U-Cはすっかり夏?

U-Cは、今週は最高気温が30℃となる日もありました。来週は、毎日、暑くなりそうです。Mugikoが住む日本のKyotoでは紫陽花が咲き始めました。季節が数週間ずつ早くやってくるような気がします。それぞれの場所でいかがお過ごしですか。

HSネームはAkiさん

今週のHarukana Showでは、Akiさんをゲストにお迎えしました。これまでも、Matsumotoさんというお名前で登場されたことはありますが (No. 585)、海外ではAkiと呼ばれているということで、今回からはAkiさんとお呼びしています。

占領期日本のGHQ/CIEの図書館、ラジオ課

Akiさんの専門はメディア史、占領期日本において「民主化政策」のもとでラジオ番組制作がどのように指導され作られていったのかを研究しています (Part1)。HSでは、先週、RyutaさんがCIE図書館と当時UIUCの図書館長だったRobert B. Downsさんとの関係について話しましたが (No.634)、今週はその話を振り返りながらRyutaさんがCIEの日本図書館学校について説明しています (Part2)。そこで、Akiさんには続いて、「CIEラジオ課」の活動についてお話をしていただきました (Part3)。

GHQ (General Headquaters, the Supreme Commander for the Allied Powers : 連合軍最高司令官総司令部)CIE(Civil Information and Education Section:民間情報教育局)

「民主化」政策とそれぞれの現場

CIE図書館もCIEラジオ課も米国から専門家が派遣され、日本のそれぞれの現場を現地の人々とともに、さまざまに作りかえていきます。そこでどんなことが起きるのか。2人のトークを並行して聞くことによって、改めて気づくことがあります。Podcastをお楽しみください。

Part1, Parkland College の皆さん、Kyotoへ。Aki-san自己紹介

Part2, CIE図書館と米国文化、慶應義塾大学に日本図書館学校 – Ryuta

Part3, CIEラジオ課、NHK番組制作指導、民主化政策と人々の声 – Aki

* Part 3でRyutaが「ワシントン条約」と言っているのは「サンフランシスコ平和条約」の誤りです。

CIE図書館の団体貸出、巡回図書館

先週の話でも出てきたように、CIE図書館は、第2次世界大戦後、日本に民主主義改革、文化改革をもたらすためにGHQが設置した図書館です。沖縄を除く日本全国(当時、沖縄は米軍の直接の占領下にあったので施策が異なります)の主要都市に作られ、最終的には23館が存在していました。これらCIE図書館では、図書館の建物を訪れる利用者にアメリカ式の図書館サービスを提供するだけでなく、他の機関の図書室などに資料をまとめて貸し出す団体貸出や、図書館のない地域を巡る巡回図書館といった取り組みも行われていたようです。

(リスナーの方からの質問で、このような取り組みも、国土が広いアメリカで行われていたサービスが導入されたものなのか、というものがありましたが、このあたりは、ちょっと定かではないです。遠隔利用者への郵送貸出、宅配などは行われていたようですが、「コミュニティ・アウトリーチ」ということが盛んに言われるようになるのは、アメリカでも1960年代ごろからだったと思います。)

日本図書館学校についてもう少し

日本図書館学校は、CIE図書館などで働く図書館司書を養成するために、GHQ主導で設置された図書館学校です。(この学校の立ち上げに、イリノイ大学のRobert B. Downsさんが深く関わりました。)全国から学生を集めるためと、アメリカ式の教育との親和性が高いと判断されたため、東京の私立大学である慶應義塾大学が選ばれ、その1学科として設立されました。

同時期の1950年に日本では「図書館法」が成立し、公共図書館で働く専門職は「司書」の資格を有する者、と定められます。既存の公共図書館職員にこの資格を取らせるため、全国各地の大学で集中講義のようなかたちでの「司書講習」が始まり、これが後に大学の資格課程に取り込まれて、いまある「司書課程」になっていきます。一方で、日本図書館学校では、アメリカ人の教師陣による、アメリカ式の図書館教育が展開されました。- Ryuta 

CIEとラジオ

第二次世界大戦後、マッカーサー元帥率いる連合国軍最高司令官総司令部(以下、GHQ)は、占領政策の一環として、メディアの指導を行いました。その一つが、ラジオです。GHQは、民間情報教育局(以下、CIE)の中に、ラジオ放送の制作・指導を専門に行うラジオ課を設けました(以下、「連合国最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)組織図」参照)。

ラジオ課には、戦前・戦中の米国でラジオ放送に携わった人々が所属していました。National Broadcasting Company(NBC)やColumbia Broadcasting System(CBS)をはじめ、ジャーナリストや舞台俳優経験者も含まれていました。彼らは、ラジオプロデューサーとして、NHK(日本放送協会)の制作者や脚本家と共にラジオ番組の制作に取り組みました。例えば、『話の泉』、『真相はこうだ』、『街頭録音』、『二十の扉』がそれにあたります。いずれの番組も、アメリカのラジオ局で放送されていた番組です。順番に、『Information Please』、『Now It Can Be Told』、『Man on the Street』、『Twenty Questions』です。ラジオ課のスタッフは、米国のラジオ番組をNHKのスタッフに紹介し、制作に当たらせていたのです。

制作指導は手取り足取り

しかしながら、戦後の日本において、米国では当たり前とされてきたラジオ放送を実現するための放送環境が整っていなかったようです。そこで、ラジオ課のスタッフは、NHKに対して長期的な番組指導計画を打ち出し、「アメリカ式」の放送を実現し、NHKが占領政策終結後も効率的かつ永続的な放送を行えるように指導を行いました。それが、以下の14項目です。

「⑴組織改正、⑵予算管理、⑶労働組合、⑷人事、⑸放送施設の修復及び拡張、⑹番組研修、⑺番組編成の改変、⑻教育放送、⑼聴取調査、⑽職員研修、⑾番組聴取グループの育成、⑿全国番組の改善、⒀地域及びローカル放送の拡大、⒁放送法規の整備」(向後2005:31)

上記の項目は、番組制作における技術的な制作指導に留まりませんでした。日本におけるラジオ放送について、経営、放送地域の拡大、放送内容改善のための聴取者調査の手法に至るまで、指導を行いました。

私は、こうした「アメリカ式」のラジオ番組制作が、第二次世界大戦後の米軍占領期の日本本土・沖縄・朝鮮半島において、「誰」が「いつ・どのタイミング」で、「どのような」指導を行なっていたのかについて調べています。同時代に蓄積された放送政策の名残が、現在のTV放送へと受け継がれ、今に至っていると考えるからです。また、同時代の異なる地域で行われた放送政策を比較検証することを通じて、歴史認識の違いや物事の捉え方の違いについても考察することができるのではないかとも考えています。– Aki

元CIEラジオ課にスタッフへの聞き取り調査時の写真(両端:元CIEラジオ課スタッフの遺族、真ん中:本人、2019年9月16日撮影)

参考資料:
国立国会図書館「連合国最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)組織図」https://www.ndl.go.jp/constitution/gaisetsu/kenpo_ghq.html(最終閲覧日:2023年5月30日)
向後 英紀(2005)「GHQの放送番組政策」『マス・コミュニケーション研究 66 (0)』pp. 20-36.

■灰田勝彦「鈴懸の径」■つじあやの「Tennessee Waltz」■「The March of Time」(Themes Like Old Times – 90 of the Most Famous Original Radio Themes, Vol. 2より)

Champaign County COVID-19 Cases, Updated on 26 May 2023,4.06AM,CUPHD

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