No. 671, Feb. 2, 2024, 桜餅、日本酒、恵方巻き、春を前に食トーク

季節と食のトーク

2024年2月3日は「節分」。春を前に、みなさんから届いた季節のメッセージ、写真、新聞記事などを紹介しました。Part1では早すぎる桜の花と桜餅、Part2では能登半島地震と酒蔵支援、Part3では節分と恵方巻きについて。

収録は2月1日、MugikoはKyotoから、RyutaさんはShizuokaから出演。ヘッドホンをつけマイクに向かって話すRyutaさんの膝のうえには、Taichiさん(6ヶ月)。朝のミルクを飲んだあと、最初はスヤスヤと眠っていました。途中で目をさまし、もそもそ、ウニャウニャ、途中で、Taichiさんの声も聞こえます。Podcastをお楽しみください。

Part1, 早すぎる桜。オオシマサクラか? 桜餅 – Tsujino 

2週間前、Tsujinoさんから、1月上旬に撮影した桜の花の写真が届きました。

神戸の大学キャンパスに咲いていた桜です。品種ははっきりとはわからないのですが、オオシマザクラの一種ではないかと思われます。オオシマザクラ自体は3月に開花するので、なにかの交配なのかもしれません。キャンパス内の植物に名前のプレートをつけたいですね。ちなみにオオシマザクラの葉は、桜餅に使われる葉です。-Tsujino

桜餅と聞いて、どんな和菓子を思い浮かべますか。地域によって違うようですね。

農林水産省HP>食文化の>うちの郷土料理>「桜餅 大阪府」の説明によると、「塩漬けした桜の葉でピンク色の餅を巻いた菓子で、春の季語にもなっている。桜餅は全国で食されているが、関東の桜餅は薄いクレープ状の生地であんを巻くのに対し、関西の桜餅はつぶつぶとした道明寺粉の餅であんを包むという違いがある。仕上げに塩漬けした桜の葉で巻く点はどちらにも共通している。」

さっそく、Kyotoのお饅頭屋さんへ。Kyotoでも道明寺粉の「桜餅」です。あなたの町の甘いお話、お待ちしています。

Part2, 能登半島地震から1ヶ月、避難の状況。被災酒蔵への支援

進まぬ二次避難

「県の住宅被害は4万6千棟を超え、一時約3万4千人が体育館や集会所などの「1次避難所」に避難した。同日時点でも、約1万人が避難する。県は健康悪化などを防ぐため、被災地外のホテルや旅館などの「2次避難所」への移動を推進。同日時点で4792人が避難した。」死者238人、避難者1.4万人 能登半島地震1カ月、被害の状況は」朝日新聞DIGITAL 2024 年2月1日5:00

「石川県は災害関連死を懸念し、ホテルなど二次避難所を約3万人確保したが、県外が多く、トラブルも続出した。故郷に愛着がある被災者は二の足を踏み、仮設住宅も整備途上。公助は空振り気味で事実上の自助頼みだ。」(京都新聞 2024年2月1日朝刊「二次避難空転 自助頼み 行き先・期間選べず、他人とも同室 2万人 半壊自宅などへ」

能登半島地震の被災地において、地元から遠い二次避難をして近所の人たちと離れたくないという思いも、高齢者にはとくに強いだろなあと思います。

1980年代〜90年代、Mugikoは、能登半島の門前町(現在の輪島市)を訪問し文化人類学の調査をしていました。当時から過疎化、高齢化がすすんでいましたが、普段の暮らしのなかで集落の住民どうしのつながりや助け合いがしっかりありました。外から来た私にも、「金沢からの学生さん、話をしてあげて」と隣近所の方に声かけしてくださったり、自転車をお借りしたり、離れた集落へ車で連れて行ってもらったり、いろいろなサポート受けました。ーMugi

能登の酒蔵への県内外からの支援

先週のHS(No. 670)では、発災直後の急性期医療における行政、NGOなど、官民の協力体制について話題にしました。今回のHSでは、民間での支援について、能登の酒造りについての支援の記事を読みました。能登は日本酒の生産地としても有名ですが、多くの酒造が深刻な被害を受けました。「県内外の酒造会社が被災した蔵から「もろみ」(酒になる前段階の状態)を「救出」するなど支援に乗り出している。」支援の背景には、東日本大震災での被災経験がありました。

奥能登の被災酒蔵、残った「もろみ」を救え 県内外から支援の手」朝日新聞DIGITAL, 1/21(日)17:00配信YAHOO!ニュース、朝日新聞夕刊2024年1月24日

Part3, アメリカならではお寿司-Tamaki、節分と恵方巻き

Tamakiさんからアメリカの「東海岸寿司あれこれ」の写真が届きました。「お気づきでしょうか、やたらと鮭が登場します、アラスカ産のキングサーモンが主流で脂っこいのが人気のようです、刺身はいいとしても焼鮭は日本風に紅鮭で作りたいです。」-Tamaki写真だけ見ていると、日本のお寿司と同じくらい本格的で、美味しそう。他の写真は、アメリカのTamakiさんとトークしながらご紹介できたらいいなと思います。

Tamakiさんからの写真を見ていて、そういえば、節分には最近は、「恵方巻き」を食べるらしい。Mugikoが子供の頃は、そんな習慣がなかったけれど。そもそも節分って何?農林水産省サイトに、節分についてもわかりやすく解説されていました。農林水産省>食文化「節分と恵方巻きレシピ」。

「節分」=「季節を分ける」、1年に4回!

節分の夜、「福は~内、鬼は~外」と言いながら、豆を投げている声がそれぞれの家庭に響きます。節分は1年に4回あります。「節分」=「季節を分ける」、つまり季節の変わる日のことです。立春・立夏・立秋・立冬のそれぞれの前日が節分です。旧暦では立春が1年の始まりで重んじられていたこともあり、節分といえば、春の節分を指すようになったとか。2023年の立春は2月4日であり今年の節分は2月3日です 。

なぜ豆をまく?豆=魔目(鬼の目)を滅ぼす、厄払い

節分は、厄払いや邪気払い、無病息災を願う行事です。豆をまくようになったのは、室町時代とされています。豆=魔目(鬼の目)を滅ぼすということに由来されているそうです。季節の変わり目に鬼がやってきて災いや疫病をもたらすと考えられていました。家からこの鬼を追い出して福を招き入れるための風習が豆まきです。 

恵方を向いて太巻きを無言で一気に丸かじり

節分の日にその年の「恵方」を向いて、太巻きを食べる風習が注目されています。「恵方」というのはその年の歳神(年神)様がいる方向で、干支によって決まります。その方向を向き、願い事を思い浮かべながら、無言で一気に太巻きを丸かじりするのが「恵方巻き」です。これは「商売繁盛、幸せを一気にいただく」という縁起かつぎで、正月に行われていた「恵方参り」が形を変え、節分のしきたりとして復活したものです。

大阪の海苔問屋組合の販売促進とコンビニチェーンの宣伝戦略

恵方巻きの起源には諸説あります。一つは、江戸時代末期から明治時代初期に、大阪の商人が商売繁盛の祈願のために始めたという説ですが、長く忘れられていました。再び注目されたのは昭和52年、大阪の海苔問屋組合が行ったキャンペーンだといわれています。海苔の販売促進とコンビニチェーンの宣伝戦略によって、全国的に広がりました。 

2月3日の節分の日、Ryutaさんから写真とメッセージが届きました。「今日、恵方巻きを買ったので、写真を送ります。恵方は、その年に年神様(歳徳神)がいる方角だそうで、十干十二支の「十干」のほうに応じて変わるようです。(今年は東北東)」

Mugikoも2月3日にスーパーに立ち寄ってみました。確かに、節分コーナがあちこちに。巻き寿司も、中身が海鮮だけでなく、牛肉や豚カツが入っていたり、種類が多くてびっくり。1本、600円〜1500円と高め。家族の人数が多かったら、結構なお値段に。太巻を一気に食べ切る自信がなく、Mugikoは、節分の「鰯」フライを購入。節分のお寿司は、広い世代のお客さんで賑わっていました。

■八代亜紀「白い花」■萩原健一「酒と泪と男と女」■いちごくらぶ「恵方巻きのうた」■AVOCAD BOYS「Shusi

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