梅雨と紫陽花
先週はWRFUスタジオの不具合で、Harukana Showを放送・配信できず残念でした。今週の番組は、日本時間の日付が変わる6月6日(木)零時すぎにPart1を収録しました。MugikoはKyotoから、RyutaさんはShizuokaから出演しています。そろそろ各地で梅雨入り。Kyotoでは、さままなアジサイの花が色鮮やかです。
Part1, 紫陽花の季節、「メディア文化論」紹介
甲南大学「メディア文化論」、オルタナティブメディアのグローカルな可能性
Part2&3&4は、甲南大学文学部「メディア文化論」の公開講座の一部をお届けしました。この授業では、マスメディアとは異なるオルタナティブメディアのグローカルな展開の可能性を、授業の共同担当者がそれぞれのメディア体験をふまえて話します。
ゆるやかなコミュニティと信頼とつながりのデザイン
第8回「メディア文化論」では、ゲストとしてKarenさんを教室に招いて、日本の滞在型図書館についての研究や、Karenさんたちが行っている読書会やZINE作りについて話していただきました( No.688)*。さまざまな個人が関わる緩やかなつながりのコミュニティのあり方について話し合いました。Karenさんのお話では、自分たちの活動を伝え、信頼をえ、多様な人々と関わり合うツールとして、「デザイン」がキーワードになっていました。
*No. 688, May 31, 2024, ゆるやかなコミュニティ作りと安全と信頼の「デザイン」 with Karen & Ryuta
Publicってなんだ?Libraryの安全と信頼と自由の尊重
そして、第9回「メディア文化論」は、オンラインでRyutaさんを教室にゲストとしてお招きしました。専門である図書館情報学やメディアという視点から、Public LibraryのPublicって何だろう、インターネットを含むメディアの変化を敏感に受け取り、ライブラリーがどのように変わり、人が集まる場として展開してきたのかといったお話を伺いました。
Part2, Publicとは? “公共”の信頼と安全とLibrary-Ryuta & Karen
Part3, Libraryと自由の尊重、メディアの変化、場としてのLibrary-Ryuta
Par4, Libraryと政治、時代、”Banned book”- Matsumoto & Ryuta
「公共の場」のさまざまなかたち
前回、Karenさんのトークにコメントするかたちで、英語でいうところのpublic libraryは、(日本語では「公共図書館」と訳しがちなものの、)訳としては「公立図書館」でも「公共図書館」でもさしつかえない、という話をしました。それに対して、今回の冒頭に、Karenさんからは、「官」の(公立の)公共の場というよりも、私的にそのような場を作っていくことに興味がある、というコメントがありました。
実際、公共の場のありかたには、歴史上のコモン(共有地)のようにコミュニティが自分たちで管理するやりかたもあります。また、最近では、公共サービスを官に任せるのではなく、「自分ごと」として維持していくという「私設公共」という考えかたも生まれています。必ずしも「公共」=「(運営母体的に)公立」である必要性はないと思います。
資本主義社会の中での異質な存在
いっぽうで、「信頼と安全のデザイン」は、市場原理主義から離れたところだからこそ、うまく成り立つのかもしれません。いま、私たちが知る「公共図書館」の原型は、19世紀半ばごろのアメリカで生まれたと考えられています。それ以前の図書館は、(特に活版印刷の普及以前は)図書が貴重で高価なものだったこともあり、不特定多数の市民がアクセスできることはあまりありませんでした。
公共図書館については、19世紀後半から20世紀初頭のアメリカにおいて、公共教育や社会事業に関するいくつかの機運が高まった結果、それ自体が直接的な利益を生み出すのではない、「資本主義社会の中ではやや異質」な施設が生まれたと言われることもあります。無料で入場できる、開架式になっていて、誰でも自由に本を手に取ることができる、という、現在ではあたりまえの仕組みも、このころに定着しました。
市民サービスの中でも異質な存在
また、あらゆる図書館は、利用者の知の自由を守る施設である、という前提があります。公共図書館は一般的には「官」による市民サービスのひとつですが、そのような意味では、地方公共団体の活動の中でも「異質」な存在かもしれません。地方自治体の役所が提供する市民サービスの多くは、手続きの必要上、個人情報や国籍、生活状況といった、個人の「プライベート」に踏み込みます。公共図書館は、市民サービスでありながら、そのような経験を追体験せずに利用できる場所です。
図書館蔵書に対する「疑義」とBanned Books Week
知の自由を守る施設である図書館ですが、その活動には、利用者、市民から多くの声が寄せられます。その中には図書館の蔵書にまつわるものもあり、特に、現代の社会状況では、「ある本が、ある層の(通常は若年の)利用者にふさわしくないので所蔵を取り止めるべき」という声が強く発せられることがあります。(現在の米国では、マイノリティの歴史をポジティブに扱った図書や、LGBTQA+コミュニティの経験をポジティブに扱った図書にそのような声が寄せられることが多くあります。)
個々の図書館の現場では、そのような声をすべてはねのけるのは難しいこともあります。ただ、現代の図書館界は、「利用者の知の自由を守る」「情報の検閲に加担しない」ことを、強く理想として掲げています。このことは、日本の「図書館の自由に関する宣言」の「図書館の自由が侵されるとき、われわれは団結して、あくまで自由を守る。」や、米国のLibrary Bill of Rightsの文言にも反映されています。全米図書館協会(ALA)は、Banned Books Weekというイベントを通して、知の自由、図書館の自由と検閲への反対をアピールしています。- Ryuta
■ミスターサタデーマン「水無月の抵抗」■ローヤルエール「紫陽花」■Base Ball Bear「changes」でした。