No. 709, Oct. 25, 2024, 秋祭りとハロウィン、「もしもし」と「Hello」

番組の始まり、ご心配をおかけしました

今回のHarukana Showの始まりのトーク、別の音楽と重なって、お届けできなかったようですね。たいへん申し訳ありません。NagoyaのMichiyoさんから5分過ぎに、「いま聞こえ始めました。よかった」とメッセージが届きました。ご心配をおかけしました。

収録は日本時間の10月24日(木)夕方、MugikoはKyotoから、Ryutaさんはなんと、Tokyoと往復してShizuokaからの参加です。というわけで、長距離通勤話から始まっています。季節の話題として、「秋祭り」(Part1)と「ハロウィン」(Part2)、そして先週の「漏れる」トークの続きで、後半は電話の話です(Part3)。アメリカと日本では、各世帯への電話の普及時期が、こんなに違うとは。ところで、電話では、どうして「もしもし」というのでしょう。

Part1, 長距離通勤、神社と寺院がコラボの秋祭り

Part2, ハロウィン、日本に「ハマった」理由

Part3, メディアとしての電話、交換手ともしもし、ahoy ahoy、Hello

日吉神社の神幸祭、子供神輿が地域をまわり、太鼓演奏も

Kyotoに住むMugikoが近所の日吉神社の神幸祭の話をしました。毎年、子供神輿が地域を練り歩く小さなお祭りですが、驚いたことに寺院と共同で祭事がおなわれていました。10月20日(日)はKyotoは秋晴れ。日吉神社を出発した子供神輿が3時間ほど地域を練り歩き、児童公園では、太鼓演奏も披露されました。

神輿がお寺で祭事?神仏混淆の不思議な光景

Mugikoは、公園で子供たちの太鼓演奏を楽しんだ後、徒歩10分ほどの真如堂へ。紅葉が始まると観光客が増えるのでその前に散歩を楽しもう。ところが境内では、袈裟をきた僧侶たちが忙しそうに、古い塔の前に祭壇を設置し野菜や果物を供え、マイクの準備をしていました。何が始まるのだろう。間もなくそこへ、先ほど公園を出た太鼓を乗せたトラックと神輿の行列がやってきました。お寺の境内に神輿と太鼓を境内に置き、祭壇の前に関係者が集合。立派な袈裟を着た7人の僧侶が読経し、神社とお祭りの関係者もお参り、神仏混淆の不思議な光景でした。このあと、太鼓演奏も奉納されました。

地域の祭りのフレキシブルな面白さ

後から調べてみると、京都市観光オフィシャルサイト「日吉神社」には次のように記されていました。日吉神社の歴史は古く平安時代に遡り、このあたりには、「一條天皇の母后東三條女院離宮があった。女院はこの離宮に比叡山の常行堂に安置されていた阿弥陀仏を移して寺院とし、真如堂を創建された。そして、同じく比叡山の守護神である日吉の神を山王権現としてこの地に勧請されたのがこの日吉神社の草創であったようである。」日吉神社と真如堂はいずれも比叡山の守護神と阿弥陀仏に由来し、千年の歳月をへて地域の祭りを担う人たちが、そのつながりをあたり前のごとく演出していることに驚きました。-Mugi

ハロウィンが日本に「ハマった」理由

来週、10月31日は、「ハロウィン」。日本のスーパーでもハロウィン用のお菓子が売られています。あるフリーペーパー*に、ハロウインが日本に「ハマった」理由として、「…日本のお祭り文化、法被を着て神輿を担いだり露天が並ぶ雑踏に繰り出すことと、ハロウィンにいつもと違う衣装で雑踏に繰り出す高揚感が似ているかもしれない」と記されていました。Ryutaさんが番組の中で、「夏祭りや地蔵盆でも子供たちにお菓子を配ったりする習慣があったりして、そうしたこともハロウィンが日本でなじみやすかったのかも」とコメント。そういえば、子供の頃は、地蔵盆でも地域の運動会でも、いろいろなお菓子やパンをもらえて嬉しかったなあ。

今年は、Champaignも例年より暑く、夏が長く続きました。パンプキンの収穫や形はどうだったのだろう。それぞれの場所のハロウィンの様子など、HSへのメッセージ、写真などぜひお送りください。-Mugi。

*『京都便利堂だより』2024 Vol. 15 9/10 中秋号

後半のトーク、今回は「電話」について。先週の話題、「漏れる」の話のなかで、Ryutaさんが、「アメリカで電話が普及した最初の頃、地域で共通の回線を使っていて、ある家にかかってきた電話の内容を他の世帯もしっかり、漏れ聞いていた」と話されました。アメリカでは、いつ頃、電話が普及し、それはどんな影響をもたらしたのだろう。

『メディアとしての電話』、日米の電話普及の時間差

今週も、興味深い本に出会いました。吉見俊哉・若林幹夫・水越伸『メディアとしての電話』(弘文堂、1992年)です。本の帯には「再発見される電話 若者の日常意識や、時代をつかむ感覚を捉えるための必須のメディアとして電話を意欲的に論じた現在日本社会論」と記されています。30年前に出版されたこの本を、今、読み直してみるのも面白いかも。驚いたのは、電話が各世帯へ普及した時期が、日米では大きく差があることです。米国では、1940年代にはほぼどの世帯にも電話が普及していましたが、日本では1970年代半ばでも2世帯に1台の割合。

Champaignで、1960年代でも交換手が電話をつないでいた!

1956年生まれのTomさんに、「子供の頃、どの世帯にも電話があった?」と聞いてみました。「もちろん、各家に電話はあり、電話会社と契約すると受話器が配られたので買う必要はなかった。」ところが、Tomさんが小学校の頃までは、地域のブロックで電話回線が共有されていて、交換手が各家にかかった電話をつないでいたそうです。電話が世界一早く普及したアメリカでも、利用者が相手に直接に電話をかけることができるようになったは、意外と最近のことなんですね。

電話の「もしもし」の由来

「日本では電話をかけて最初に、”もしもし”というけれど、アメリカではなんと言いますか」と尋ねると、Tomさんからは、「Hello」とシンプルな返事。そこで気になりました。「もしもし」という言葉は、どこからきたのか?「もしもし」の語源・由来(「雑学ネタ帳」)ではこう説明されていました。日本で電話サービスが開始されたのは、1890年(明治23年)、電話交換手が電話の回線をつないでいました。交換手は最初は「おいおい」や「こらこら」と呼びかけていたけれど、その後、交換手が男性から女性に変わると、より丁寧な言葉として「申し申し」(もうしもうし:これから申し上げます)というようになりました。当時の電話は聞き取りにくく、「もしもし」と2回繰り返した、ということです。

初期は「おいおい」「こらこら」

Ryutaさんの話では、おい、こらは元々は、薩摩の言葉で、「おい」は私を、「こら」はこちらという意味です。「おいこら」は、「ねえ、ちょっと」といった呼びかけ。明治以降、東京の警察官に薩摩出身者が多く、彼らが使うことばが、一般にも広まり、おい、こらが使われるようになりました。電話で「おいおい」「こらこら」というと、高圧的な印象を与えたようです。

アメリカではahoy ahoy、ではなく、Helloが普及

Ryutaさんのお話はさらに続き、アメリカでは、電話を最初に発見した一人である、ベル(Alexander Graham Bell 1847-1922)は、船上で使われる呼びかけ、”ahoy” を繰り返す、アホイアホイを普及させようとしたそうです。2度繰り返すのは、もしもしと同じく、雑音で聞き取りにくいので。ところが、電話の発明、開発に関わったエジソン(Thomas Alva Edison 1847 -1931)は、Helloを提唱しました。結果的には、ahoy ahoyではなく、helloが普及しました。電話は、広域をつなぎ通話する相手のとの時差があり、good morning、good after noon, good eveningだとズレてしまうことがあるので、Helloは時間帯を考える必要がない便利な挨拶として広く使われるようになりました。

HSは、番組の始まりにいつも、「こんばんは、こんにちは、おはようございます。Harukana Showの時間です。」と言います。これを、「もしもし、聞こえますか。Harukana Showの時間です」といったり、「あほいあほい」と言っているみるのも、遠くにお〜い、お〜い、と呼びかけている感じで、いいかも。

こうら干し中のカメのまわりをコイたちがぐるぐるまわって呼びかけ、かめかめ、こいこい。小春日和。

■くるり「赤い電車」■AI Music HY「秋祭りの夜」■Andy Shauf- “Halloween Store“■ O-Zone「Dragostea Din Tei

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