なんだか、慌ただしく11月へ
日本は衆院選が終わり政局の混迷が続きそう、アメリカは大統領選挙直前、なんだか慌ただしい秋です。HSの収録は日本時間の10月31日お昼過ぎ。ちょうどMLBのワールドシリーズ第5戦が終わったところでした(日本のTVでも生放送)。Part1では、そんな季節の話題から始まります。Part2 & Part3では、David W. Plathさん(1930-2022)の命日11月4日を前に、Plathさんが日本語で書かれたエッセイを読みました。UIUCと甲南大学間の留学が始まった1970年代後半の報告書です。Plathさんは、どんな夢を描いていてIllinois-Konan Programをすすめたのでしょうか。
Part1, ハロウインは変わった?Day Light Saving終わり
Charmingなパンプキンたち
Stuartさんに今週のHS番組音源を送って、「日本でもハロウィンが季節の行事になっています」と書き添えたら、こんな素敵なパンプキンの写真が届きました。思わず、Kawasii!と返信。
近所の年上の子が引きつけれて”Tric or Treat”-Tomさんの子どもの頃
ChampaignのTomさんに幼少時代(1960s)のハロウィンの様子を聞いてみました。「自分が子供の頃は、年上の子が近所の子どもたちを引きつれて、家々を回ってお菓子をもらっていたよ。今じゃあ、普段でも子どもだけで外を歩いたり、公園で遊んだりしなくなったけれど」と話していました。Ryutaさんが、「現在のハロウィンでは、近所の家々を訪問する時間帯を決めていたり、事件や交通事故などの心配もあるので、大人たちが必ず後ろで見守っていると思います」とコメント。
11月3日(日)2amにDay Light Saving 終了
日曜日の夜中に時間が2時から1時に、1時間戻ります。日本と中西部時間(CST)の時差が15時間になるので、来週のHarukana Showは日本では土曜日9am始まりです。毎シーズン、時刻が変わることにどんなメリットがあるのかな。Ryutaさんに尋ねると、反対する人もいるけれど、昼間の日照時間が長い方がエコだという人もいます、と。
Konan-Illinois ProgramとPlathさんの夢
Plathさんの依頼から始まった「時間と場所をこえて記録をつなぐプロジェクト」は、2022年11月4日にPlathさんが亡くなられた後も続いています(第1-7話)。1年前に第5話で、Plathさんが1970年代に精力的にすすめた甲南大学(神戸)とイリノイ大学間の留学制度についてふれました。1976年に初めてYear in Japan(YIJ)が実施され、イリノイ大学からの学生が甲南大学に留学しました。2年後には、Konan Illinois Programをとおして甲南生がイリノイ大学に滞在しました。日本から学生を迎えたPlathさんが、日本語のエッセイを報告書に寄せています。。生き生きとした自筆の文章には、Plathさんの夢が語られています。
*その後、YIJは、UIUCだけでなくアメリカの中西部の大学、さらにはカナダ、イギリス、ドイツ、フランスとネットワークを広げています*。「Year-in-Japan Programに参加する留学生34名が到着しました!!」Konan International Exchange Center, 2024.9.10
Part2, Plath 1980「文化の日の随想」季節と生活リズムから文化を学ぶ
日本では11月3日が文化の日。「文化の日の随想」は、45年前のちょうど今の時期に書かれた日本語の文章です。番組ではMugikoが全文を読みました。アメリカ中西部の秋の風景が目に浮かぶような、詩的な文章です。こんな始まりです。原文は青色で、Mugikoが内容を要約した箇所は黒で記します。
「11月3日の午後。学会からの帰りみち、私は車をシャンペーンに向かって走らせている。増田先生がそばにすわってじーっとインディアナ州の大原野をながめておられる。周囲は文字どおり360度の地平線にかこまれている。秋晴れの蒼空が母と子のように土を抱きしめている。夏には全く見られなかった風景だ。」
夏には、2メートル近くも伸びたコーン(とうもろこし)が、いちめんに茂って空と土のあいだを埋めてしまい、とてもこのような地平線をみることはできなかった。その時に、こうしてながめてみると、何か土と空のあいだにすき間があいたような気がする。「丁度、あの夏の頃、すき間をくぐって甲南の学生諸君が遠い国から、まるで蛍のように姿をあらわし、そしてあっという間にさっていった。」
学生たちがせめて文化の日までいてくれたら、可能であれるならば1年をとおしてここに滞在してほしい。「文化と文化のちがいは生活リズムに由来する。ひとつの文化を理解することは、その土地の生活リズムを心身とも体験することにあると私は思う。そういう経験を日本の学生にも、アメリカの学生にもひとりでも多く持たせてあげたいというのが、甲南・イリノイプログラムについての私の夢である。」
Part3, Plath 1979「チャンネル権争い」すっぱくて甘い教師生活の醍醐味
不思議なタイトルのこの文章は、Plathさんの手書きです。Konan-Illinois Programで初めて学生を迎え、自らもワクワクして「新しいゲーム」を学生と一緒に始めている様子が伝わってきます。
僕と諸君との争いー何語でしゃべるか
「甲南大学の諸君がシャンペーンに到着された日から、僕と諸君との争いは始まった。英語か日本語か、お互いに何語でしゃべるかという争いだ。せっかく、英語の力を養うためにイリノイに来られたのだから、腕くらべの機会を期待しておられたろう。また英語を話すのが常識のはずのアメリカでこんな『ヘンナアメリカ人』と日本語をはなすとは考えておられなかっただろう。
しかし、反対に僕は20年程日本語を習得するために努力してきた。まだまだ『ドジ』なことが多いのだが、『雨に負けず、風に負けず』というような変なプライドを持っている。そしてまたこの中西部の地方住いでは、日本語を話す機会を楽しみにしている。僕たちの間の争いは、一種のチャンネル権争いとたとえられると思う。つまりどのチャンネルを通じてより良く相手の気持ちを掴むか、あるいは自分の気持ちを表すか。」
いざアメリカで生の英語を学ばんと勢いこむ日本人の学生たちに、あえて日本語で話しかけて挑発する、思わず日本語で話したらこのチャンネル権争いゲーム、あなたの負けよ、と。イリノイに到着したばかりの学生たちは、七割、八割日本語で話してしまう。それが数ヶ月後に帰国する頃になると勝負は五分五分になる、とPlathさんは書いています。
「世界人」の育成
「しかし、考えてみると、この小さな争いには戦無派世代の気質がよく表れていると思う。日本以外のもっと広い世界の人々に自分たちの心をわかってもらうために彼らは努力しているのだ。最初の一歩ではあるけれど、日本人としてばかりではなく、一人の「世界人」としての芽が彼らには芽ばえつつある。根をはり、枝をはり、成長した木がどんな花を咲かせるのか、僕には予想ができない。だが、もし甲南―イリノイプログラムが何かの目的を持つとすればば、まずそういった『世界人』育成の他にはないだろう。」
大切な点は、日常生活に密着していること
「僕は根っこからイタズラが好きなものだから、正式な『チャンネル権ゲーム』をつくったらどうだろうかと考えたこともある」、うっかりと母国語を話してしまったら減点といったルールも考えて、、、、、「しかしながら、そんなゲームをかりに作ったとしたら、ゲームの楽しさが僕たちを遊びの世界にさそいだしてしまうという危険性がある。今の僕と彼らとのチャンネル権争いの大切な点の1つは、僕たちの争いが日常生活に密着していることである。」
負けることは、すっぱくて甘い味
「だから、僕は来年もまた甲南チームがこのシャンペーンというグランドに入場してくれるのを楽しみに待っている。それまでに僕も僕の日本語をきたえておこう。僕は負けることが人一倍きらいである。しかし、チャンネル権争いに負けることは、何とも言えないすっぱくてあまい味がする。僕が負けるたびに甲南プログラムもそのものは一歩一歩目的に近づいて行くからだ。この味こそ、教師生活の醍醐味だろう。」
Plathさんのことばは、日本で暮らし日本語でさまざまな人とつながったその時間の延長にあるのだろうなあ、と思います。日本語の2つのエッセイをとおして、それ以前に1977年にPlathさんが記した英語の文章の意味がより身近に分かるような気がしました。1976年に始まったYIJに参加者が記した文集の最初のページに掲載されています。今回のHSでは全文を紹介しませんでしたが、Tomさんに原文を読んでもらいました。
12世紀の学者Bernard of Chartresの言葉の引用から始まります。
Years ago while still a student I was moved to copy down the words of 12th-century scholastic called Bernard of Chartres. Asked about the way to learn, he said, “A humble mind, zeal for inquiry, a quiet life, silent investigation, poverty, and a foreign land: these are wont to reveal to many what is obscure in their reading.”I am struck by what Bernard does not say as well as what he does say. He has two guidelines: attitude (humility, zeal. etc.) and context (a quiet life and foreign land). He does not however, mention any particular content which must be learned.
その後続く英文の内容を要約すると、ラテン語ではcampusは、いわゆる大学の構内だけでなく、fieldという意味をもつ(地理学者や文化人類学者にとっての現場)。今の大学教育は学習内容(contents)ばかりに固執するけれど、より広い世界に身をおきそこでの体験から学ぶこと(context)も大切なのではないか。Year in Japanは、キャンパスとフィールドの両方の良さを最大限に活かしたものをめざしている。
one day the whole world can be campus
Students tell me that “this year began as a time to learn about Japan in Japan but it is turning into something much greater.” When I hear what they say I sense that the dream is not an impossible one; that one day the whole world can be campus; and that Bernard was not just some musty medieval mentor after all.
Plathさんが仕掛けたゲーム
留学が、その場所で言語を学ぶだけでなくその次へと広がる一歩であってほしい。「いつか世界全体がキャンパスなる日も夢じゃないかもしれない」ということばが、文化人類学者として、若い世代の学びを導く人としてPlathさんが開いてこられた道なのかなと思います。「つなぐプロジェクト」も、負けず嫌いでイタズラ好きなPlathさんが仕掛けた世界とのつながり方ゲームなのかもしれません。-Mugi
■CHiCO with HoneyWork「11月の雨」■羊毛とおはな「カントリーロード」■YUKI「世界は、ただ輝いて」