UC-IMC地下のZine Libraryの素敵な空間
イリノイ滞在中の3月24日夜、UC-IMCの地下のZine Libraryで、WRFUのミィーティングがありました。いつもみんなが何を話しているのかよく聞き取れず、人の表情を見ながら目で議論を追っている状態ですが、この空間にいることは好きです。こじんまりして部屋に、机と椅子と、そしてたくさんのZineがあります。
TateishiさんのZineはどこに?
いつかここのlibrarianに渡したTateishiさんの『DIY TRIP』や『Football Activist』も、どこかにあるはず。でも確かめたことがない。翌日、もう一度Zine Libraryへ行ってみました。「Art」「Food」「Travel」「Music」「Political」「War」「V」「?」など分類された(されていない)ボックスや、スタンドに入っています。レターサイズの半分くらいの大きさなのZineが多いけれど、さらに小さな規格外の紙、色も綴じ方もさまざま。冊子の端を揃える「化粧断ち」など、あまり気にしてなさそう。手書きもあります。
フリペーパー「HOWE」Vol.20を発見
ふっと、日本語が目に入りました。あれ?そこには、Tateishiさんのフリーペーパー「HOWE」vol.20がありました。じゃあ、他のZineも、どこかにちゃんと収納されているはず、と一安心。
Grassroots Media Zineをさりげなく置きっぱなしにする
最後に、Zine Libraryの机の上に、さっきまで誰かがそこで読んでいたかのようにさりげなく、『Grassroots Media Zine』創刊号と第2号を置いておきました。UC-IMCのジン・プロジェクトの誰かが、「読んだら元に戻せよな」つぶやきながら、このZineをどこかの棚にしまってくれるかな。
60年代ロンドンのカウンターカルチャーの”先駆者”Hoppyの話
これは、今年の1月に亡くなったJohn “Hoppy” Hopkins氏(1937-2015)から聞いた話です。Hoppyは、いくつかの新聞の追悼文にもあるように、1960年代のロンドンの the “King of the Underground”(the Independent 03 February 2015 ) とよばれるなど、1960年代のロンドンで、さまざまなアート・イベント、Alternative Mediaを生み出してきた写真家であり、活動家です。70年代以降は、Video、映像制作の分野で活躍してきました。私は、2011年から2014年にかけてロンドンでHoppyに話しを伺う機会がありました。
The International Timesのイタズラと観察
Hoppyが関わった活動の1つが、IT(International Times )、60 年代のイギリスのunderground newspaperです。そんなカウンターカルチャー系のマイナーな新聞をどのように売り出したのだろう?Hoppyの話では、ITを初めての発行したとき、いくつかの新聞販売所のスタンドに、他の新聞に混ぜて勝手にこっそり(目につくように)ITを入れておいたそうです。お客さんが、「面白そうやな」とITを手にとり料金を払いにゆくと、お店の人が、「何やこれ、こんなの扱った覚えないで」と奇妙な顔をする。そんな悪戯を楽しみ成り行きをよく観察しながら、ITの読者をつかんでゆきました。
Grassroots ActivitiesとAlternative Mediaについて書きたい
そんなGrassroots ActivitiesとAlternative Mediaについての話を書きたくて、届けたくて、『Grassroots Media Zine』(GMZ)と名付けました。Tomさんが編集長、Mugikoがライターです。
GMZ創刊号“Media Space for Cultural Media Space:Exploring Community Radio in the United States”(2013)では、アメリカイリノイ州のUC-IMCとコミュニティラジオ局WRFU、そしてHarukana Showについて書きました。
GMZ2号(2014)では、ロンドンで私が2011年に行ったStuart Hall氏(1932-2014)へインタビューを中心に掲載しています(本サイトZine & Paperに公開中:“The Ghost of George Clark: From An Interview With George Clark”)ここでは、1950年代末から60年代のロンドンのノッティングヒルについて、Stuart Hallにお話を伺っています。
次のGMZ#3では、Hoppyとの出会いについて書こうと思います。インターネットのない時代に、どうやって多数の若者の関心を集めるイベントや媒体を作り出していったのか。メディアとともに生き、しかし人々が求めるHoppy像とは離れていく自分を見つめる2000年代のHoppyが、60年代をどのように語るのか。Hoppyの言葉から彼が求めた “alternative”の意味や可能性を、現代のなかで考えたい。
表現しながら人とつながるツール
私にとってのZineもラジオも、表現しながら人とつながるツールです。「あえて選んでZineを作っているけれど、Zineでなくてもいいかもしれない」「Harukana Showに毎週、夢中だけど、ラジオでなくてもいいかもしれない」、そんな、あいまいなゾーンが私のなかにはあります。
そう言えるようになったのは、フィールドワークやラジオ番組をとおして様々な人に出会い、助けてもらい、たくさんの言葉をもらったからだと思います。それぞれの生き方、道のり、表現があるんだなあ。いろいろな考えがあるけれど、でも、私はこちらの方へゆきたい気がする。どうしてだろう。よく分からない。
半世紀をこえて生きてきたのに、「なんだか変だ」と思うことがあるのに、何が問題なのかを判断できないことがたくさんあります。でも、分からないことは、言葉にできないことは、置いておく、開いておく、ゆっくり動きながら考えたい。Zine Libraryにいると、それぞれのいろいろな声がひびいてきて、そんな気持ちになります。Mugi