Blog: LondonからZineレポート(7):GMZ#3がつなぐ縁, Sept.11-19, 2016

GMZ#3がつなぐ縁

60年代のロンドンのカウンター・カルチャーの旗手John “Hoppy” Hopkinsのインタビューを掲載したGMZ#3と、それをHoppyの友人たちに送ってくれた(そもそも、Hoppyを私に紹介してくれた)Adam Ritchieのおかげで、今回のロンドン滞在は、いくつもの新しい出会いがありました。

'Grassroots Media Zine3' (2016) HarukanaShow org.

‘Grassroots Media Zine3’ (2016) HarukanaShow org.

Joe Boyd: アメリカ人音楽プロデューサーの視点

Joe Boyd(1943-)は、Hoppyの話のなかにしばしば登場するアメリカ人の音楽プロデューサーです。60年半ば、渡英し、LFSの設立にも関わり、66年12月にはHoppyとUFOクラブを共同設立しました。

当時のアメリカ人の若者からみたロンドン、あるいはイギリスの市民活動、音楽状況にたいする印象やNoting HillのLondon Fress Schoolとの関わり方など、Hoppyとはまた別の視点からの話を伺うことができ、私にはとても新鮮でした。(Joe Boyd ‘s A – Z‘White Bicycles: Making Music in the 1960s’  Serpent’s Tail, 2006 Harukana Showでも、彼がプロデュースした60年代の音楽をお届けできればと思います。

Barry Miles: 60年代の専門家

Barry Miles(1943-)は、半世紀以上にわたるHoppyの友人の一人です。1965年にHoppyとともにLovebooksという出版社を始め、イギリスにアメリカのビート小説を紹介しました。Indica Gallery を運営し、1965年10月にアンダーグランド情報誌、International Timesの設立にも関わりました。Paul McCartneyやWilliam Barroughsなど、たくさんのアーティスト、小説家の伝記を出版しています。(Full Biblipgraphy)  。当時を知り、かつSixtiesの専門家であるBarryに、GMZ#3の原稿を読んでもらいメールをとおして貴重なコメントをたくさんいただきました。

ベテランの作家から逆インタビュー

Barryとは、彼がこよなく愛するSOHOで、今回、初めてお会いました。相手に話させることがとても上手い。私が、これまでのフィールドワークをとおして、どんなふうに物語を書いてきたのか、GMZの制作がそれとどのようにつながっているのか、初めて会ったベテランの作家に、英語で懸命に話していました。Barryは「僕があなたにインタビューしてるね」と楽しそうに聞いてくれました。

Barryが、アーティストや作家の伝記を書くときに、その人に直接会ったり資料を読んだりはしても、自分がそこにいない場面をどのように叙述し読者に届けるのか、彼の「創作」について聞いてみたいことがたくさんありました。書くという行為の想像/創造力についての話から、匂いを描くことの難しさ、料理の話題へと、会話は続きました。

HoppyとBarryからの美しい贈物

'DARAZT'表紙

‘DARAZT’表紙

Barryは、『DARAZT』Lovesbooks, 1965の中表紙に、”To Mugiko, This was the first thing that Hoppy & I published. More than 50years ago.Best work, Barry”とに記して、プレゼントしてくれました。心からうれしかったです。2009年に初めてHoppyと話した時にも、別の部屋からこの本を探して私に1冊にくれました。William Burroughsの詩を掲載したこの美しい本を、2人の制作者、MilesとHoppyそれぞれから1冊ずつ手渡されるとは、私は、このうえなく幸せなフィールドワーカーです。

"This is the first Things that Hoppy & I published." Sept.21, 2016

“This is the first Things that Hoppy & I published.” Sept.21, 2016

見えない存在を、見える問題にして闘う

Stuart Featherは、Blowing the Lid: Gay Liberation, Sexual Revolution and Radical Queen’ (ZERO books, 2016)の著者です。1971年にGay Liberation Frontの設立に関わり、Notting Hillを拠点に活動しました。Stuartは、友人にすすめられGMZ#3を知り、問い合わせのメール (grassrootsmediazine@gmail.com)をいただきました。

Stuartの友人の友人がAdam Ritchieだという縁から、Adamがランチに招待して私をStuartとに引き合わせてくれました。AdamもStuartも、同時代にNotting Hillに活動していたはずですがが、当時はお互いを知りませんでした。Stuartが、「Gay Peopleは、嫌悪され、社会から見えない(Un-visible)存在でした」と話すのを聞いて、社会から隠された存在を見える問題にして闘う、それがなぜ、Notting Hillからだったのだろう。もう少しお話を伺ってみたいと思い、改めてインタビューを申し込みました。Stuartは自分たちの運動を記録として残すために、私の最初で最後の本を書きましたと話していました。

GMZ#4はNotting Hill Press

次のGMZ#4では、1968年に設立されたNotting Hill Pressを取り上げてみたい思います。看護学校に通っていたBeryl FosterとLinda Ganeが、Notting Hillのコミュニティ活動と関わるようになり、地域の活動に何が求められているのか、自分たちができることは何かと考え始めます。学校をやめ、彼女たちが選んだのは、印刷所です。なんとか資金を工面し中古の印刷機を購入、男性にまじって研修を受け、いろいろな人の協力をえて場所を確保し印刷所を始めます。そこでは、さまざまなフライヤーやニューズレターやポスターや冊子が印刷され、出版という営みをとおして、地域の情報を共有し多様な人々と活動をつなげてゆきました。

Grove Neighbourhood Centre@London, Sept.13, 2016

Grove Neighbourhood Centre@London, Sept.13, 2016

Beryl Fosterとの出会い

Berylさんと初めて会ったのが2006年、HammermsithのGrove Neighbourhood Centreというコミュニティセンターの調査をしていたときでした。たまたまGNCに立ち寄ったBerylを、GNCのスタッフが私に紹介してくれました。それから2016年までの10年間、ロンドンへゆくたびに、彼女を訪ね、数時間、お話を伺いました。

Berylの活動は、先にコンセプトや方法論があるのではなく、現場で感じる矛盾や怒りや希望、仲間たちとの関係が原点となり、生み出されたものです。アイルランドからロンドンへやってきたBerylが、どのようにノッティングヒルの活動にのめりこみ、いろいろな人との出会いのなかで仲間とどのように活動を展開するのか。

Leicester Square Station, London, Sept.2016

Leicester Square Station, London, Sept.2016

London Print Studio, 印刷機に触ってみたい

Berylの話のなかで重要となるのが印刷機。言葉で説明を聞いてもなかなか想像ができません。半世紀前に使われていた印刷機を触ってみたい。ロンドン滞在の最終日、2016年9月20日は、「印刷機」をめぐる1日となりました。Blog:ロンドンからのレポート(8)へ続きます。

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