No. 721, Jan. 17, 2025, 「Color works!」(Kana&Yuuna展)。「何をどうに残し、伝え、つなぐか」

厳しい寒さが緩んだかと思うと、またぶり返し

Champaignは厳しい寒さが少し緩んだ、と思ったら数日後、また極寒の繰り返し。「この落差がこたえる」と、Tomさんが話していました。それぞれの場所でいかがお過ごしでしょうか。

今週の収録は、日本時間1月16日(木)午後2時から、RyutaさんはTokyo、MugikoはKyotoから参加しました。Part1ではKanaさんの姉妹展についてのご案内、Part2 &3 はアーカイブ関連の話題です。Part2では、『建築雑誌』特集「阪神・淡路大震災30年」から「継承」について、Part3では京都国際マンガミュージアムの展示と伊藤遊さんへのインタビュー記事(京都新聞)からマンガ・アニメ文化の「何をどのように残すか」について、話しました。

Part1, 石黒加那・石黒結那 2人展 Color works!, 1/31-2/4@Kyoto

「Color works!」、不思議なタイトルの姉妹2人展です。【日時】2025年1月31日(金)~2月4日(火) 12:00~19:00 (最終日17:00まで)*入場無料【場所】ALC Art Library&Gallery 〒606-8336京都市左京区岡崎北御所町51−8 TMビル2F・3F(*京都市バス「岡崎道」バス停より徒歩1分)。

Kanaさんの作品と活動は、HSでも話題にしてきました。昨年は、VR美術館の共同展示会ARTLINKにも参加されました(HS No. 711)。また妹のYuunaさんは、2019年4月にUCIMCで開催されたSmall Press Festにも、日本から作品(織物、絵葉書、コースターなど)を送っていただいたことがあります(Blog, April 13, 2019) 。

Part2, 阪神・淡路大震災30年、「継承すべき知見の残し方」

2025年1月17日は阪神・淡路大震災発生から30年。

「1995年1月17日、マグニチュード7.3の地震が引き起こした阪神大震災。6434人が亡くなり、建物被害は全壊だけで10万棟以上にのぼった。大規模な火災も発生、様々なインフラが損傷して都市が壊滅的な被害」(朝日新聞 online 2025年1月14日5:00)を受けました。

一年前の元日には能登半島地震、9月には豪雨災害、今週は、1月13日21時19分宮崎県日向灘を震源とするマグニチュード6.6、震度5弱の地震が発生しました。災害の経験は過去のことではなく、どこかの今とこれからにつながります。

日本建築学会『建築雑誌』2025-01の特集「阪神・淡路大震災30」の表紙にこう記されていました。「30年という年月が経過した現在、社会の一線あの現象を経験し携わってきた世代から次の世代、さらに次の次の世代に移行している。

この雑誌に「若い世代から見た阪神・淡路大震災ー継承すべきもの、更新すべきもの」(栗山尚子、杉野未奈、大津山堅介、須沢栞、前田昌弘)という座談会が掲載されていました。そのなかで、前田昌弘さん(京都大学人間・環境学研究科准教授 1980年生まれ)が話されいる内容の一部を、今回のHSでお伝えしました。

「継承すべき知見の残し方」

前田さんは、東日本大震災からの復興の際に、阪神・淡路大震災で最前線におられた方々で、「阪神淡路の経験が東北や関東の研究者にきちんと伝わっていない」とおっしゃる方が少なくない、という印象を受けました。

伝わりにくい理由を前田さんなりに考えて3点あげています。「伝える側と受け取る側の人的な問題」、「記録の残し方の問題」(30年前はアナログだったので人から人へ直接に伝わるというメリットの一方で、時間が経つと記録が散逸しやすいというデメリットがある)、「被災地が固有であるにもかかわらず、それを共有できるような知の伝承の在り方についても問題」です。p.17

記録媒体の変化ーデジタル化

前田さんが指摘されているように、「30年」の間に、記録、伝え方は大きく変化しました。阪神・淡路大震災から16年後、2011年3月に発生した東日本大震災ではSNSによって多くの情報が記録、拡散されました。

Ryutaさんが言及された「ハーバード大学日本災害DIGITALアーカイブ(JDA)」は、「2011年の東日本大震災に関するデータや報告を集約することを目的に作られた高度なアーカイブ」です。

「デジタル化」によって個人が発信した記録が地理的に離れた場所とも瞬時の情報共有が可能になり、データーの散逸も軽減されるのかもしれません。その一方で、デジタル化されえないものにも丁寧にむきあっていく必要がありそうです。アナログとデジタルをどう組み合わせて、すでにある記録を再構成しこれからに伝えていくのか。でもその未来は、どれほどまでの先を想定しているのだろう。-Mugi

固有性と共通性と、誰に伝えるのか

3つ目の場所の固有性の問題もとても難しい。例えば、阪神・淡路大震災、東日本大震災、能登半島地震は、その場所の地理的条件も自然環境も人の住まい方もつながり方も一様ではありません。何をどのように記録するのか画一的に考えることはできないけれど、固有性が意識されることで、共通している側面もより明確になるのかもしれません。また、誰に伝えるのかによっても、例えば、海外に伝えるときと、日本国内やそれぞれの地域へ伝える時も、同じ記録でも重点が異なるのかなと思います。

とても複雑で深い問題ですが、2025年のHSでアーカイブついてさまざまな立場の方とゆっくりと話をしていきたいなと思います。

Part3,マンガ・アニメ・ゲーム「文化」の何をどう残し、いかすのか

京都市中京区の京都国際マンガミュージアムで考える 漫画資料、何を残す?」『京都新聞』2025年1月6日(行司千絵)に掲載されていた伊藤遊さん(京都精華大国際マンガ研究センター特任准教授)へのマンガのアーカイブについてのインタビュー記事がアーカイブについて考えるうえでも興味深く、HSでも一部を紹介しました。

このインタビューは、現在、京都国際マンガミュージアムで開催されている文化庁メディア芸術連携基盤等整備推進事業成果発表展「のこす!いかす!!マンガ・アニメ・ゲーム展」2024年11月23日(土)~2025年3月31日(月)に関連しています。

何を基準にして集め、残すのか、正解がわからない問題 

「アーカイブの際、何を基準にし集めたらいいのか、正解が分からない」と伊藤さん。西洋絵画を展示する美術館や小説家などを紹介する文学館の手法を連想しがちだが、「単純に重ねて考えるのは危うい」と指摘する。

「西洋の芸術では唯一性が大事にされます。…でも手塚治虫は原画として15万枚もの絵を描いていて、膨大なんですね。量として多いのは雑誌も同じ。例えば『週刊少年ジャンプ』は発行部数が653万部の号もあり、大量の複製物だからアーカイブとしての価値がないとは言い切れません」

 会場にはある漫画家が着たチェックのシャツが展示してあるが、「漫画研究に意味があるのかどうか分からない」と伊藤さん。「手塚治虫のベレー帽は特別であっても、いつも履いていた靴下は特別じゃないのでしょうか。その違いって何でしょう? -京都新聞記事より抜粋

多数印刷されたとしても、存在として貴重

Ryutaさんがおっしゃったように、江戸時代に庶民が向けて火事などの事件について印刷された「瓦版」(かわらばん)は、数多く刷られ読まれ捨てられたけれど、当時を知る貴重な資料です。たくさんの部数を印刷され消耗品として扱われてきたマンガ、雑誌も(だからこそ、多くの人々の人生、暮らしに染み込んできた)、何をどう残すのか。難しい。

複雑な工程、共同作業と連携、そのどこに注目するのか

Mugikoはこの新聞記事を読んで翌日、展示会を見るために、マンガミュージアムへ立ち寄りました。そこで印象的だったのが、マンガやアニメやゲームが、読者や視聴者やプレーヤーに届けられるまでの複雑な工程とたくさんの作業についての展示です。緊密な共同作業と連携があって作品が生まれ、たくさんの人に手に届けられる。プロセスから考えると、さらに複雑な問題です。

作家が使用していたものは?それぞれの「思い入れ」

また、作家が使用していたものや、あるいは仕事場、書斎を残す展示は、文学においてもよく見られます。書斎が中心ですが、台所は?もし作家がいつもトイレで本を読んでいたり、アイディアを思いついたりしていたら、トイレも重要な展示になるかもしれません。

「アーカイブについてとりとめなくトークする」シリーズ、参加者募集中です。-Mugi

マンガミュージアムにおいてあった様々なイベントのフライヤー、どれも面白そう。日本全国、いろいろなミュージアム、ライブラリーがあるんですね

■スピッツ「遥か」■ 琴音「記憶」■Willie Hightower「I  found you

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