No. 729-2, March 14, 2025, もっと知りたいアメリカの公共図書館ヒストリー

Part3, 使節団のNYの図書館訪問の話をもっと聞きたい

先週のPodcast No. 728のPart3で、Ryutaさんが、日本からの使節団がNYのアスター図書館を訪問をしたという話をされました。今回のトークはその続きです。150年以上前に使節団のメンバーたちは、欧米のライブラリーに何を見て、日本に伝えたのだろう?アメリカの初期の公共図書館は、無料になっても、人種やジェンダー、年齢などによる利用制限はなかったのだろうか。公共図書館が全国に広がり始めた頃、一般の人にとって、ライブラリーはどんな場所だったのだろう。本そのものが、最初は近寄りがたそう。そんな話をRyutaさんに、あれこれと伺いました。

万延元年遣米使節団が1860年(!)に、アスター図書館を訪問

前回のポッドキャストでは岩倉使節団の話として書きましたが、「日本人」によるアスター図書館訪問は岩倉使節団が最初ではなく、1860年に江戸幕府から派遣された万延元年遣米使節の一行が見学に立ち寄っています。江戸幕府の時代にも、徳川家康ら歴代将軍の蔵書を中心に収集し、管理していた紅葉山文庫という文庫があって書物奉行という役職が置かれていたり、幕府が設置した昌平坂学問所(現在の湯島聖堂)にも勉学のための文庫が設けられていたりと、書物を集めた場所、書物を貸借する場所はありましたが、アスター図書館のように「国営の施設でない」ものが、さまざまな身分の利用者に公開されている、ということは強く印象に残ったようです。

公共図書館でも「あらゆる住民が、自由に」利用できた、わけではない

一方で、無料であることが一般的となったあとの米国の公共図書館でも、「あらゆる住民が、自由に」利用できたかというと、そうではないこともありました。公共図書館が利用者の多様性を意識したコレクション構築や図書館サービスを展開するようになったのは比較的近年のことです。例えば米国南部では、奴隷解放以降も、長い間(1960年代まで)、公共の場では「白人」と「有色人種」が使う施設が分けられており、公共図書館も例外ではありませんでした。

中産階級の生活スタイルの価値観と公共図書館の「児童室」

また、今でこそ、公共図書館というと子どもがよく利用しているイメージがありますが、当初の公共図書館に、子ども向けの本はあまり置かれていなかったと思われます。(そもそも、子どもの発達段階に合わせた「児童文学」という考えかたが比較的新しいものだと思います。)20世紀初頭ごろになって、当時の中産階級の生活スタイルや価値観として自宅に「子ども部屋」が設けられるようになると、労働者階級の子どもたちにも似たような経験を「させてあげよう」という観点から公共図書館に児童室が作られるようになっていったと考えられているようです。-Ryuta

公共図書館をとおしてみるグローカルな「社会史」

江戸時代には特定の身分の人が利用する「書庫」が日本ですでに存在していたから、アメリカの図書館が、より広い人々に公開されていることが使節団のメンバーには強く印象の残ったというお話に、なるほど!また、アメリカで公共図書館という仕組みが全国に展開していっても、各ライブラリーの規則や利用制限は、地域によっても一様ではなく、そこから「その」地域の変化にもふれることができそう。「子供部屋」が当時の中産階級の生活スタイルや価値観のある種の象徴であり、公共図書館の児童室の設置は、中産階級から労働者階級への「おすそ分け」的な側面があったとは、公共図書館をとおしてみる「社会史」を地域や国をつなげてみてゆくと、さらにいろいろな気づきがありそうです。-Mugi

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