今週のHSは定刻に放送・配信されました!
番組全体はWRFU Show Arichive 2025-06-20-1800.mp3 からお楽しみいただけます。こちらのPodcastには、トークの音源と日本語要約を添えています。収録は日本時間の6月18日午後に行われ、RyutaさんはTokyoから、MugikoはKyotoから参加しました。
Part1, 6月の異常気象、Champaignでの”No Kings”抗議活動報道
日本各地で猛暑が続く中、Champaignでも最高気温が35℃になる日が予想されています。Tomさんからは、先週(2025年6月18日)Champaignでの激しい夕立の動画が届きました。
番組では、IPM(Illinois Public Media) June 15, 2025″Thousands join Urbana’s ‘No Kings’ protest amid nationwide rallies “を紹介しました。Urbanaのような地方都市で、大学が夏休みの時期に、これだけ多くの地域住民が集まり、それぞれに声を上げざるをえない状況にあることが記事からも伝わってきました。-Mugi
*6月14日に全米を行われた抗議集会「No Kings」については、外務省「海外安全ホームページ」でも注意喚起の情報が掲載され(6月13日)、その後、関連するデモについて日本でもさまざまに報道がされました。* 毎日新聞2025/6/15「ノー・キングス」 軍事パレード全米2000ヵ所で抗議デモ
◼️THE BLULE HEARTS「人にやさしく」この曲をかけたくなりました-Mugi
Yuさんとマンガ文化を深堀り(3) 考現学とマンガ
Part2, 21世紀のマンガ研究へのニーズ、民俗学と考現学の方法論
Part3, 考現学とマンガ、個人の視点から観察、記録し、発見、表現する
6月2日に収録したYuさんとのトークの最終回です。Yuさんの専門である民俗学、考現学の視点からマンガ研究について深掘りしています。
Mugikoは2015年にYuさんにHSにご出演いただいて以来、「とびだし坊や」を見るたびにYuさんのお話を思い出していました。 それから10年が経ち現在のYuさんが、民俗学と考現学の関係、そこからマンガ研究をどのように見るのかについて伺いました。ぜひPodcastのトークをお聴きください。
*No.205, Feb.27, 2015 趣味(しょうもないもの集め)からマンガミュージアム研究員に(なっても)with ITOYU-san *No.206, March6, 2015 「考現学」〜日常を観察する「私」たちと自己表現with ITOYU-san
以下ではYuさんのお話の内容を、Muguikoが文章に要約しました。
日本文化としてのマンガ、研究者の養成/要請
2000年代に入ると、マンガが日本文化として注目され、政府資金も投入されるようになりました。これに伴い、マンガ文化の価値について専門的な説明が求められるようになりました。ところが当時はまだ、学術的なマンガ研究は確立していませんでした。民俗学を専門に研究していたYuさんは、ある日指導教員から大阪大学のマンガ文化関連研究プロジェクトに参加し、「マンガ研究者になりなさい」と勧められました。
民俗学とマンガ研究の二足の草鞋
Yuさんは自分の欲望というより周囲からの要請により、民俗学とマンガ研究という2つの分野に携わることになりました。民俗学とマンガ研究をどう接続させるかについて、Yuさんはずっと考え続けてきました。
歴史学への対抗としての民俗学、日本文化を担う当事者たち
Yuさんが特に関心を持っているのは、民俗学の「弟分」にあたる考現学です。日本の民俗学は柳田國男(1875-1962)が研究を開始した際には、歴史学への批判や対抗意識がありました。柳田らは、歴史学では無視されがちな「普通の人々の日常生活」に注目し、そこから日本文化の原点を探ろうとしました。民俗学では、農村をはじめとするそこに暮らす「当事者」が主体となって調査、記録する方法を展開していきました。
日本文化の「原点」を探り、テキストで記録し抽象化、体系化
柳田は調査研究の主体を、東大の研究者や行政官ではなくそこに暮らす人々であると考えていましたが、民俗学の記録の中心は「文字」によるものでした。柳田は、ひたすらテキストをとおして考え、より抽象的な文章にまとめ、日本文化の「原点」を探り体系化しようとしました。日本の「民俗学」が展開するにつれて、専門家たちがその学問を担うようになりました。
民俗学の弟分の「考現学」、変化する都市の暮らしのバリエーションに注目
今和次郎(1988-1973)は建築学者であり、柳田國男らと共に農村調査も行いました。今たちはやがて、都市の暮らしとその変化のバリエーションに注目し、それらを「スケッチ」をとおして記録するようになりました。今たちが始めた「都市風俗」の観察、記録は、「考現学」へと展開していきます。
ディレッタンティズムとしての考現学、個人の視点、個性、表現を大切に
Yuさんは、柳田による民俗学には、「文章や文字は抽象的な高さゆえにビュジュアルより高位にあり、事象のエートスを発見することができるというアカデミズムについての考え方がベースにある」と考えています。
一方、今たちは、1923年の関東大震災後の生活文化の復興や服飾などを独自の視点から、スケッチなどを駆使して視覚的に記録しました。今たちが大切にしたのは、変化の細部、当事者一人ひとりの視点、記録、表現でした。Yuさんの説明では、これは「ディレッタンティズム」(dilettantism、道楽や趣味として学問・芸術を愛好)と考えられ、アカデミズムの世界から考現学は姿を消してゆきました。
1970年代以降の考現学、「路上観察学会」、自分の視点を発見し表現
考現学はしかし、1970年代に赤瀬川原平(1937-2014)らによって再注目され、1980年代には「路上観察学会」などをとおして芸術分野から展開していきます。赤瀬川らは、今たちが始めた「考現学」のように、変化の「末端」の多様性に注目し、観察者の個性としての視点の面白さを表明、表現していきます。
赤瀬川たちの「路上観察」では、「参加者一人ひとりが自分の視点を発見するために街に出ます。アカデミックな発想とは異なり、自分の視点を表明しアートのような表現をすることが、考現学の面白いところです」とYuさんは話しています。
マンガ文化における読者と表現者の敷居の低さ
考現学とマンガ研究に関わってきたYuさんにとっては、マンガ文化における読者と表現者のあいだの敷居の低さは、考現学の「誰でもが、それぞれの視点をもち、表現者になれる」という姿勢と通じるところがあると考えています。
また、先週のYuさんのお話(HS No. 742-1)でふれられたように、マンガにはその時代の空気や社会の情勢が鮮明に反映されます。同時に、その作者ならではの視点も豊かに入り込んでいます。マンガに描かれているものだけでなく、描かれていないもの、Yuさんの表現では「チョイスされているものを見つけていく」というマンガの読み方もできます。
考現学的な視点からマンガ文化を考える
現在では、マンガについての個人の考えや表現を、学会誌でなくてもSNSなどをとおして発信し広く共有することができます。Yuさんにとって、考現学もマンガ研究も、これまでのアカデミズムの取り組みを再検討しながら、生きた社会や文化をとらえる方法論について考えるヒントがたくさんありそうです。-まとめ Mugi
Ryutaさんからのコメント〜『ゆるキャン』から「今」を考える
Yuさんのお話を聞いてRyutaさんは、大学の授業で、マンガ『ゆるキャン』(あfろ作)の中で、登場人物の女子高校生たちがLINEでやり取りする場面を資料として取り上げることがあると話しました。学生たちはそこから、マンガが今をどう切り取っているか、読者がそれをどうとらえているか、「メディア選択論」について考えるそうです。
Mugikoの感想〜多様な自己の視点、たくさんの発見
Yuさんのお話とRyutaさんのコメントを聞いてMugikoは、マンガは絵に描かれている情景や文字情報、オノマトペによって、言葉の省略や振動、スピード感なども伝える豊かな媒体だと感じました。だからこそ、マンガ文化をとおして、そこに表現された作品をとおして、作者や登場人物、読者の意識・無意識を考現学的視点から見ると、ある社会・文化が多角的に発見されうると思います。
多様な発想と共有、開かれた場でのグローカルな逆転の遊び心
個々人の視点を共有する場を多様なメディアを用いて開き、考現学のように互いを面白がることができたら、自分の視点を見つめ直したり、生活世界を別の文脈に置き換えて再発見し、Yuさんのいう「逆転」を重ねることができそうです。マンガが今やグローバルなメディアであるからこそ、特定のコミュニティを超えた発見と共有の可能性がたくさんありそうです。
Yuさんの続きのお話をまた伺うことを、今からとても楽しみにしています。長時間のワクワクするお話の共有をありがとうございました。-Mugi
◼️ポチョムキン「80BARZ」◼️スチャダラパー「ヒマの過ごし方」Yuさんのおすすめの2曲です。
SOZO展(HS No. 742-2)に行ってきました。Kanaさんの素敵な絵たちです。-Mugi
展示会場とKanaさんの絵と窓の外の風景が続いているみたいでした。Mugi