旅から戻って考えたこと
久しぶりにMugi-chan Blogを書きます。Podcast No.171の「せんだいメディアテーク」(smt)訪問記の続きです。私にとっては、震災と、記録と言葉と場所について考える旅でした。
*今週のHarukana ShowのPodcast No.172 「気仙沼まただいん」@岡本商店街、神戸with Aoyama-san、そしてTateishiさんのブログHOWE*GTR「Harukana Showポッドキャスト:せんだいメディアテークの巻」も合わせてお楽しみください。なお、7月11日(金)のWRFUのラジオからの生放送はお休み、Podcastのみの配信となります。
リアス・アーク美術館常設展示「東日本大震災の記録と津波の災害史」
2014年6月29日に、smt館長の鷲田清一さんやスタッフの方々に同行させてもらい、同じ宮城県内の気仙沼市にある「リアス・アーク美術館」を訪問し、常設展示「東日本大震災の記録と津波の災害史」を見ました。(せんだいメディアテーク前・副館長の佐藤泰さんが、詳しくレポートされています。「鷲田清一館長・随行録—2014年6月29日:リアス・アーク美術館(気仙沼市)にうかがう」)
リアス・アーク美術館では、東日本大震災直後から2年間にわたって、学芸員自身が被災現場で写真を撮影し(約3万点)、被災物を収集し、膨大な記録資料を作成してきました。この展示には、そのなかから写真203点、被災物155点、歴史資料137点が収められています。
常設展示について、『図録』の最初のページに説明されています。
「この常設展示は、『東日本大震災をいかに表現するか、地域の未来の為にどう活かしていくか』というテーマで編集されています。私たちに与えられた役割は、単に記録資料を残すことではなく、それを正しく伝えていくことです。伝えるためには『伝える意志と伝わる表現』が必要です。」(当図録、編集・デザイン・レイアウト/山内宏泰、リアス・アーク美術館発行、2014年第1版第2刷、p.3)
「記録を残すだけでなく、正しく伝える」とは?
『図録』には、「被災現場写真」について、こう記されています。
「重度の被災者である我われが毎日現場に赴き、涙を流しながら撮影した写真には、悲しいことに、その感情も思考も映し出されてはいなかった。….写真は光学的な光の羅列であり、我われが体感した現実と同一のものではなかった。その違いを正すためには言葉が必要だった。最も重要なことは現場に立った人間が味わった感覚や思考を伝えることである。よって展示写真の全てに撮影者自らが執筆した文章を添えている。」(p.150)
関西に戻ってから、リアス・アーク美術館で買った『図録』の文章をもう一度、じっくり読みました。被災地の現場を知らない私には、美術館に展示されていた写真や被災物に圧倒されても、そこにどんな現実があるのか、想像がつきませんでした。でも、展示や図録のなかの写真を見ながら、そこに添えられた言葉を読むことで、「知らない者」でも、立ち止まり、考える、想像することを少しでも許される気がしました。
スタジオ協同プロジェクト(smt)「対話の可能性」
smtにあったたくさんのカタログやフリーペーパーや冊子もいただきました。スタジオ協同プロジェクト(smt)「対話の可能性」も、心に残りました。
「メディアテークの7階スタジオでは、2013年もたくさんの活動が行われました。….これらのプロジェクトに関わる人の多くは、それを生業としてはいません。好きなものに一生懸命に、納得のいくまで時間をかけて考え深め、対話や試行錯誤を積み重ねてゆく、そんな当たり前のことが、当たり前のこととして可能な場所は、今、意外と少ないのかもしれません」。(「対話の可能性」2014)
Harukana Showを続けながら私も、誰かと一緒に試行錯誤できる時間をもてることを、とても有り難いなあと思います。
それぞれが、ばらばらで、ふれあう場所
smtで行われている「てつがくカフェ」第21回(2013年5月16日)のテーマは、「震災を問い続けること」でした。「対話の可能性」2013には、「我々の言葉でこの出来事をもう1回、納得のいくように、語り直す場としてこの場を設けました」という見出しがついています。そして、A4サイズ3ページわたって、この日に集まった人々の言葉が、ぎっしりと記録されていました。
そこでは、多くの人が話すほどに、経験も記憶も時間も重なり合わない言葉が続きます。「まとまり」や出口を見つけるための会話ではなく、ばらばらであることを、それぞれ、であることを認め合う、それが「てつがくカフェ」の場であり、エネルギーなのかな、と思いました。異なるものがふれあう場所が身近に普通にあることが、対話の可能性なのもしれません。
「想像していいんだよ」
京都に戻って、近所の「ガケ書房」で、『仙台学』Vol.15が目に入りました。旅から戻ると、「仙台」という文字が少し親しい感じがしました。「震を描き災を想う 東日本大震災3年目の作家たち」という特集のなかで、いとうせいこうが、こんなふうに語っていました(「『想像ラジオ』で伝えたかったこと」)
「僕が、第2章で伝えたかったのは『知りもしないのに想像していいのかな』と思っている人にも『想像していいんだよ』ということ。被災地のことを知らない東京の人にも、海外の人にも小説を読んでほしい。体験していなくても想像していい。想像力を取り戻し、より良い未来を考えてほしい。」(p.57)
一人一人が、想像してもいいのかあ、と少し気が楽になりました。仙台へいって、smtを訪問して、そこからの旅に同行させてもらって、よかったなあ、と心から感謝しています。Mugi