No.551-1, Oct.15. 2021「和紙」との出会い、アートの道へ with Miki-san

日本は選挙な10月

日本は、10月14日に衆議院が解散され、衆議院総選挙が10月19日に告知され、投開票日は31日です。街角には選挙ポスターの掲示板が準備されています。

アートな秋トーク

Harukana Showでは、この秋は、異なるジャンルのアーティストをゲストにお迎えしています。作品制作についてや、アーティストとして自分の道をどのようにつくってこられたのか、人と人とが関わる場を生み出してきたのか、そんなDIYなお話を伺っています(「京うちわ」with Hachiya:No.547-2, No.548-2、「VR美術館」with Tomoya:No.549-2, No.550-2)。なお、今週のU-Cイベント情報は、No. 551-2に掲載します。

和紙アーティスト、竹山美紀さん(Mikiさん)

本日のゲストは、和紙アーティストの竹山美紀さんです。東京芸術大学に入る前は青山学院大学総合文化政策学部(以下総文)にてアートマネジメントや芸術学、精神分析学などを学んでおられました。Wataruさんとは、「総文」時代に、同じゼミ(Wataruさんが一学年下)でした。Mikiさんは、現在、高知を拠点で活動されています。今週はトークの前半です。Mikiさんに、「そもそも、和紙とは何か」、「土佐和紙との出会いと高知での人とのつながり」、そして、「芸術の道へ進まれるプロセス」についてお話を伺いました。

MikiさんはKochi(高知)、RyutaさんはShizuoka(静岡)、MugikoはKyoto(京都)、そしてファシリテーターのWataruさんはU-C(Urbana-Champaign, IL, USA)からの出演です。日本時間の10月8日に収録しました。Podcastの文章もMikiさんに書いていただきました。たくさんの写真もありがとうございます。

Part1, Mikiさん自己紹介、「和紙」って何?

Part2,和紙と「産地」、土佐和紙との出会い、学問から芸術の道へ

 自己紹介

はじめまして。和紙を素材としてアート作品やアクセサリー、雑貨等の制作を行っている竹山美紀と申します。制作の他にもワークショップなどのイベントも時折行っていますInstagram)。

和紙を素材としたアート作品

はじめは風景をメインに制作していました。その後、抽象的な作品も作りはじめていますが、一貫して和紙という一つの素材と向き合って作り続けています。和紙には様々な個性があって、それを指先から確かめるようにしてちぎったり折ったり丸めてみたり水に濡らしてみたりと和紙のいろんな魅力を知りたくて模索しながら制作を続けています。

和紙との最初の出会い、母がちぎり絵に夢中

小学4年生あたりの夏休みに和紙アートの制作キットを作ってみたことがありました。その時に一緒に作っていた母親が私以上に夢中になって作っていました。その時の母の姿がいつもの子供達に頼られる“母”でも“奥さん”でも“お嫁さん”でもなくひとりの若い女性に見えました。いつも誰かのために忙しく動いている母がそんなふうに没頭している姿が、子供ながらにとてもほっとして幸せに見えました。(和紙って凄いかもしれない。)そう思ったことを覚えています。

それからはそんな出来事も思い出す時もあまりなく過ごしていたのですが、芸大に入って、もっといろんな素材を試してみたいと悩んだときに、ふと、その時の事を思い出すのでした。

手を使って作る面白さ

和紙は繊維が長いのでちぎると裂け目からふわっと繊維が出てきます。和紙だけでなく時に広告や新聞紙などを使用したものなど、今でも身近なちぎり絵ですが、その魅力はハサミなどを使わないので手先に自信のない方でも楽しめるハードルの低さや指先で触れて感触を楽しみながら作れることにもあるかと思います。素材に触れることでより直接的に和紙の優しい質感に癒される方も多いのではないでしょうか。

和紙とは?

中国から伝わり、日本各地の自然と技が育てた和紙

主には日本において伝統的な手法で作られた紙のことを指します。もともと紙の技術は中国が発祥であり、それが韓国を経由して日本に伝わってきたと言われています。一方で、中国から広がっていった紙づくりはヨーロッパ側にも広がっていき、そこでは新たにパルプという原料で出来上がる紙が誕生します。そしてその技術はやがて日本にも伝わり、元来中国から伝わっていた紙と新たに西洋から伝わってきた紙を区別するため、それぞれを「和紙」と「洋紙」と呼ぶようになったそうです。

現在では和紙にもパルプ入りのものが存在していたり、化学薬品を使用したり、機械漉きのものがあったりとさまざまな種類の和紙が存在しており、物によっては線引きが難しいものもあります。

*東京和紙「和紙とは

和紙がどのようにできるか知っていますか?

和紙の主な原料は楮(コウゾ)、三椏(ミツマタ)、雁皮(ガンピ)という植物です。楮の場合、春先から一年かけて長く育った枝を真冬の寒い時期に刈り取っていきます。刈り取ったら今度は大きな窯で蒸して柔らかくします。それを熱々のうちにすぐに皮をスルっと剥いでいきます。そのような蒸して剥ぐ作業はまだ朝日も登らないうちから1日に何度も繰り返して行われます。「コウゾ蒸し」とか「コウズ(ゾ)剥ぎ」とか地域によって様々に呼ばれています。

そうして剥いだ枝の一枚の皮はさらに茶色い外側と生成り色の内側とに分けられます。私たちが普段枝と聞いてイメージする茶色の部分が外側で、その内側には生成り色の皮が隠れています。その外側の茶色い部分を刃物を使って削ぎ落とし、生成り色の部分だけを残し、乾燥させて保存します。紙を漉く際は、その保存された皮の使用する分を一度川や水に晒します。そうすることで不純物を流し、日光によって繊維を漂白します。陽にあたると白くなるのは和紙の一つの特徴です。

それからそれをじっくり煮て柔らかくします。その後、まだ残っているチリと呼ばれる細かなゴミを取り除いていきます。この作業がとても地道で紙作りでは一番大変な作業だという職人さんも多いです。チリ一つ無くなった白い皮を木槌で叩いたり攪拌機を使用したりして繊維を細かくします。それからネリという主にトロロあおいという植物から取れる粘り気のある液体を入れてとろみをつけた水に繊維を入れ、よくかき混ぜてから紙を漉く。そうして今度は乾かして、やっと紙ができ上がります。

紙づくりはたくさんの工程を経て出来上がるとても大変な作業なんです。紙になるのはもともとのコウゾの5%ほどと言われています。

楮(コウゾ)という植物は一年で5、6mにも育つ植物で、根本の株の部分を残して刈り取れば毎年収穫できる利点からも最も主要な和紙の原料となっています。不思議なことに楮の繊維は土地によって性質が変わることでもよく知られていて、同じ品種のコウゾを植えても細くなったり太くなったり短くなったり長くなったり、と土地によってさまざまな特徴が出るそうです。紙づくりの主な作業は冬。他の食物が育たない寒い季節の作業であることから、昔は農家さんの冬の仕事としてコウゾ栽培が行われていたり、同様に紙漉も行われていたそうです。

土佐和紙との出会い、高知の人とのつながり

「夢幻染め紙」に感動

はじめて土佐和紙と出会ったと言えるのは東京の和紙屋さんで見つけた「夢幻染め紙」という和紙でした。染色の職人さんによって色を淡いさまざまな色で滲ませてできている和紙は一枚一枚色合いが違い、同じ棚に入っている和紙をめくっても、めくっても違う和紙が出てくることに手が震えるほど感動していました。

その職人さんがどんな方かレジにいたスタッフさんにお尋ねした時、偶然にもその職人さんがその建物2階のギャラリースペースで数日間の展示を行っており、その奥さんとお話することができました。そして研修をさせてもらうことになったのです。

高知で和紙をとおした縁が広がる

その数日間の研修中に宿泊していたゲストハウスには東京から舞台俳優さんがいらしていました。その約半年後に高知県赤岡町で舞台を行う予定のある方でした。和紙の想いなどをゲストハウスで話しているうちに、その舞台の期間に合わせて近くの建物で展示をしないかとお声がけいただきます。そしてそのために何度か高知へ足を運んでいるうちにまた新たなご縁が広がって、滞在制作にお誘いを受け、大学を卒業してから今度は10ヶ月ほど高知県に滞在します。その滞在最後に行った個展で知り合った和紙灯りのアーティストが今の主人であったりと、和紙と出会ってから進み始めた人生が土佐和紙と出会ってさらに加速していきました。

高知での展示では個人の作品のほかに赤岡小学校の生徒さんや特別支援学校の子どもたち、老人ホームの方々に作っていただいた和紙の折り紙を吊り展示として飾りました。

Mikiさんにとって、学問とアートの繋がり

「総文」の延長線上にアート活動

今の私の主な活動はアート作品を生み出すことにあるのですが、最近やっと学問とアートが線で繋がるようになってきました。小さな頃に戻ったように始めたものづくりが、段々と経験値が増えて追いついてきたのかと思います。そうすると、今の自分の足元は「総文」の延長線上にきちんと乗っかっているということに実感できるようになりました。作品を生み出す過程はやはり芸術という文化の中にあったり、さらに和紙に触れることでは和紙の文化を感じてるようになりました。

私はまだまだ作家のさの字にも当てはまらないような身ではありますが、今の活動に至るまでの経緯を少しお話しようと思います。

バレエやピアノの習い事、でも、音大・美大受験は難しい

小さな頃から誰の影響も受けたわけでなく絵を描くことが好きでした。姉の影響もあって習い事はピアノとバレエをしていましたが、アトリエ教室に通いたいとか美術館に行きたいとよく親にせがんでいました。ただ、当時は近くにアトリエ教室がなかったり、ひとりでどうやって絵を作っていっていいかがわかリませんでした。同時はピアノも大好きで、高校一年生くらいまでは音大受験も少し考えていました。美大受験予備校にも体験に行ってみたことがありましたが、周りの凄さにびっくりしてもう遅いのかなと思ってしまいなんとなく美術の方向は流れてしまっていました。

芸術に関してもっと知りたいと思った私はいろんな大学のパンフレットを見る中で青山学院大学総合文化政策学部を知って、ここに行きたいと思い受験を決めました。ちなみに、ピアノやバレエを習っていたことは作品制作にも構図のバランスを取るときはバレエで感じていた体の軸をまっすぐにすることと全く同じ意識があったり、指先の感覚から素材の背景までを敏感に知ることができたり音のするような画面づくりになったりするのはピアノの延長線上だと思っています。

「青学」で芸術について広く学ぶほどに、自分で作品が作りたい

「青学」では学芸員になれるようなカリキュラムが学べて、さまざまな芸術をいろんな角度から学ぶのですが、学べば学ぶほど作品を作りたくてしょうがなくなってしまいます。その時はもう20歳も過ぎていて、はじめて美大予備校に行った時よりもさらに時間が経っています。家族や友人、大学教授などに相談をしながら、美大予備校の夏休みカリキュラムに参加をします。そこでデッサンをしてみるとあと1年半受験まで時間があったらなんとかなるんじゃないのかなと、手応えを感じてしまいました。きっと本当に好きだったから手応えがなくても諦められなかったとは思うのですが。

一年半の準備、第一志望の東京藝大油画科に24歳で合格!

こうして22歳になってから美大受験を始めました。もともと卒業して独学でやっていく方向を考えたのですが、いろんな方の意見を聞いた上で、興味が幅広くて一つに絞りきれなかった私はいろんな素材のファインアートが学べる東京藝大の油画科を第一志望として美大受験を始めました。いざ始まった受験は自分の中だけではどうしようもないと思ったほど大きな壁でしたが、素敵な先生方や仲間に巡り会えたおかげで受験を乗り越えることができました。

絵を描き始めてからは、知識でガチガチになってしまった頭をなんとかしたくて、学んだことを忘れるようにして取り組み始めました。必要ならまたきっと出会うからと、小さな頃の絵を描くのが好きだっただけの自分に戻ってもう一度人生を進めようとしていました。-Miki(来週のトークへ続く:No.552

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