星を眺めながら
それぞれの場所でどんな年末をお過ごしですか。WRFUのStuartさんからは12月14日の夜、星を眺めていますとメールが届きました。Ryutaさんからは素敵なクリスマスツリーの写真が届きました。
番組の収録は12月14日(木)、RyutaさんはTokyoから、MugikoはKyotoから出演しました。ゲストトークはNiigataのYoshiさんです。12月3日に収録しました。Part1では、Yoshiさんから先月送っていただいた写真(干し柿と猫など、HS No. 660)や秋に渡米された際のフライトトラブル(HS No. 654)について話題にしています。Part2とPart3では、Yoshiさんに「或る日朝友好運動活動家」との出会いについてお話を伺いました。後半のトークは来週にも続きます。
Part1, Ryutaさんからツリー写真、Yoshiさんの残念なフライトトラブル
Part2, 日本朝鮮研究所初代事務局長/木元賢輔さんとYoshiさんとの出会い
Part3, 在朝日本人2世の敗戦後の軌跡、Yoshiさんに託された語りと日記
Yoshiさんに自己紹介と「朝研」と「木元賢輔さん」について、文章にまとめていただきました。詳細は、下記の論文もご参照ください。
*吉澤文寿「或る日朝友好運動活動家の軌跡 : 日本朝鮮研究所事務局長の日記およびインタビュー記録を通して」『在日朝鮮人史研究』在日朝鮮人運動史研究会編(53), 95-110, 2023-10, 緑蔭書房
Yoshiさんの自己紹介
Yoshiこと、吉澤文寿(よしざわ ふみとし)と申します。現在、新潟国際情報大学国際学部に勤めています。研究分野は歴史学で、朝鮮現代史を専攻しています。日本と朝鮮との関係、とくに植民地支配や植民地主義に関するテーマを追究しています。よろしくお願いします。-Yoshi
日本朝鮮研究所とは?
日本朝鮮研究所(「朝研」1961-1984)は「日本人の手による、日本人の立場からの、日本人のための」朝鮮研究を進めるために、1961年11月に設立された民間団体です。1984年まで活動していました。設立当時、「朝研」は数少ない朝鮮研究を掲げる団体の一つでした。
在朝日本人2世の木元賢輔さんの足跡
木元賢輔(きもと けんすけ 1932-2005)さんは朝研の初代事務局長でした。植民地朝鮮の京城(ソウル)で在朝日本人2世として生まれ、敗戦後に大分に引き揚げて高校を卒業しました。
その後、木元さんは大阪や京都の大学に通いながら、京都の日朝協会などを経て、「朝研」で活動するために上京しました。木元さんは、けっして有名な活動家ではありませんが、生涯を通して日朝・日中関係に関する活動に従事しました。
木元さんとYoshiさんとの出会い
私は2002年に知人の紹介で、晩年の木元さんと知り合いました。2005年に木元さんが亡くなるまでに、私は10回のインタビューを通して、おもに朝鮮に関するところで、木元さんの半生を伺いました。
文字起こししたインタビュー記録を見ると、木元さんが私を「吉澤さん」と呼んだことがありますが、あまり頻繁に出てきません。私が博士号を取得した直後のインタビューでは「吉澤博士」などと呼ばれていました。木元さんは冗談をよくいう方で、記録を読み返すと改めてその人間味を感じます。-Yoshi
*立命館大学のサークル機関誌『表現』は手書きの印刷で謄写版(ガリ版)だったと思われま。京都の印刷会社に依頼していたようです。1955年から不定期に発行されています。-Yoshi
死期が迫るなかでライフヒストリーを語り始める
Yoshiさんと木元さんとの出会いの物語を聞いて、Mugikoがとくに興味深かったことは、2002年から2005年の10回にわたるインタビューのなかで、木元さんにとっての「語る」ことの意味が変わっていき、それをYoshiさんが戸惑いながら受け入れていくプロセスです。当時、Yoshiさんは大学院生で、木元さんと「朝研」や共産党との関わりについて聞いてみたいと考えていました。ところが、木元さんの癌が進行すると、木元さんは自身の生い立ちをYoshiさんに語り始めます。
「最初の3回は日朝協会や日本朝鮮研究所に関すること、4回目以降は木元氏のライフヒストリーに関することが主題であった」「このライフヒストリーは死期が迫るなかで、木元氏が私に残しておきたいと思いながら語ったものであった」(吉澤2023: 97)。
話し手と聞き手とともに育まれる語り、木元さんから託された思い
番組のなかでYoshiさんのお話を聞いていると、木元さんのお話は、Yoshiさんという聞き手をえて展開し、物語りとして育まれていったのだろうなあと思います。大学院生のYoshiさんが木元さんの語りを毎回、懸命に吸収して、木元さんもこの青年に自分の人生の記録を託したいという思いを強めていったからこそ、木元さんは、「14歳の時から書き始めた木元氏の30 冊以上の日記」を、Yoshiさんに託されたのだろう。そんな出会いの物語をYoshiさんから直接に伺うことができて、大事なものを分けてもらった気持ちになりました。来週はYoshiさんとのトーク後半をお届けします。-Mugi
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